昭和の甲子園を支配した“高校野球の神様”は、聖人か、守銭奴か。

「さわやかイレブン」「やまびこ打線」で知られる池田高校・蔦文也監督の死から25年。日本中で愛された名将の実像は、関係者の取材を進めるにつれ「酒好きの豪傑監督」から「金好きな欲望ジジイ」へと二転三転していく。

 親族、袂を分かったコーチ、告発文を書いた教え子……泥臭い愛憎劇から“神様になった監督”の真実に迫る田中仰氏のノンフィクション『監督、神になる 池田高校 記憶の衝突』(文藝春秋)より一部を抜粋して紹介する。(全3回の2回目/続きを読む

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いちばん頭が痛かったのはやっぱり金じゃな

 資金繰りについては蔦も、監督退任直後に切実な本音を漏らしている。

《40年、いろいろあったが、いちばん頭が痛かったのはやっぱり金じゃな》(『週刊ポスト』1992年4月10日号)

 白川が記した、貴族的であったという蔦の野球用具へのこだわりも、池田を強くするためであった。蔦は切実に、金を必要としていた。

蔦文也 ©文藝春秋

 勝つためには金がいる。

 勝てば好素材の中学生が入ってくる。

 そのためには甲子園に出続けなければならないが、甲子園に出るとさらに金がかかる。

 一度でも止まってしまえば、資金がショートする。

 蔦の逃げ道は、どこにもなかった。