古代天皇に関する最大の謎、継体天皇とは何者だったのか――。歴史学者の水谷千秋氏は、『増補決定版 謎の大王継体天皇』では、古墳の遺物などの考古学の成果や地勢的な視点から、継体天皇の実像にせまった。継体天皇の“故郷”である近江(滋賀県)には、その家族に関する古墳が点在している。著書から一部抜粋してお届けする。

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継体天皇の“故郷”を歩く

 琵琶湖の北西に高島郡高島町(現・高島市)という町がある。背後の三尾山から湖に流れこむ安曇川と鴨川とによって形成された典型的な三角州の地形で、農業に適した立地にいまも青い田園が広がっている。1988年の秋、私は高島町歴史民俗資料館(のち高島歴史民俗資料館。現在は閉館)の白井忠雄さんにお願いして、このあたりの古墳や遺跡などを、車で詳しく案内していただくことができた。

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 そしてそのあと資料館に戻って、この地に関するお話をいろいろとうかがったのである。実は白井さんとは初対面だったのだが、おたがいそのことを忘れるくらいに話しこんでしまった。6時ころになって私は長居をしたことに気づいて館を辞し、白井さんの車でJR湖西線の近江高島駅まで送っていただくことになった。

 夕暮れの車窓を覗きこんでいると、このあたりは水田が多いこともあって街灯などがほとんどなく、思わず「真っ暗ですね」と洩らしてしまった。するとハンドルを握る白井さんは、「このあたりの風景は、夜になったら古代と変わりませんわ」と笑われた。(なるほどそうかもしれないな)、当時これほどの水田が広がっていたかどうかはわからないけれども、継体天皇の生きていた1500年前に思いを馳せると、眼前の漆黒の闇がにわかに印象深く感じられた。

 滋賀県高島郡高島町、なかでも三尾という地名のあったちょうどこのあたりは、『日本書紀』などに継体天皇の生れ故郷として記されているところだ。「近江国高島郡三尾別業(べつごう)」にいた継体の父、彦主人王が、越前国三国より「振媛(ふるひめ)」を呼び寄せて娶り、その結果生まれたのが「男を大迹王」、すなわちのちの継体天皇であるという。彦主人王は継体の幼少時に亡くなったと記されているが、かれの墓ではないかと推定されている古墳がこの町にある。白井さんのおられる高島町歴史民俗資料館の150メートルほど北にある鴨稲荷山古墳である。

 この古墳は、明治35(1902)年と大正11~12(1922~23)年の二度にわたって発掘調査が行なわれ、豪華な副葬品が数多く発見された。現在墳丘は失われている
が、もとは全長約60メートルの周濠を有する横穴式の前方後円墳だった。内部には、金銅製の冠や飾沓(かざりぐつ)、耳飾り、魚佩(ぎょはい)が納められ、とりわけ金銅製の双鳳環頭大刀は、この古墳の被葬者の威容を偲ばせる遺物である。これら水準の高い金工技術には、朝鮮半島の加耶や新羅の影響が指摘されている。

 この古墳の築造年代は六世紀前半で、継体の父の墓としてはやや新しすぎ、彦主人王は被葬者としては適当でないかもしれない。しかし継体とほぼ同世代で、かれときわめて近い間柄にあった人物が葬られていることは間違いないであろう。ほかにもこのあたりには、継体の臍(へそ)の緒を埋めたという胞衣塚(えなづか)や、天皇橋など継体にゆかりの伝承をもつ名所が点在する。いずれも後世に附会されたものではあるが、私たちの想像力を喚び起こしてくれる旧跡である。

次の記事に続く 謎の大王 継体天皇の真の陵墓(?)今城塚古墳を訪ねる