撃砲弾の破片が左足に突き刺さった
私も迫撃砲弾の破片が左足に突き刺さって野戦病院へ。手足を縛られて「痛ければ声を上げて泣け」と言われながら、麻酔なしで破片を引っ張り出す応急手術を受けた。足を引きずって前線に戻ったら、多くの部隊がほぼ全滅状態でね。
完全な負け戦ですよ。撤退命令は7月だったが、師団長の佐藤幸徳中将は、その前に独断で退却を決めました。部下の命を守ろうとした英断だったと思う。
それでも、日本兵は英軍の激しい追撃に加え、飢餓や疫病で次々と力尽きていく。手榴弾を抱えてピンを抜き、自決する兵も相次いだ。極限の状況下、佐藤さんの支えになったのは、かつての上官の言葉だった。
私が高田の連隊に転属して出征する時、それまで所属していた新発田の歩兵第16連隊の副官が、訓示でこう言ったんです。「死ぬばかりがお国のためではない。生きて帰って日本のために働け」と。お国のために死んでこいと教え込まれた時代だから、最初は理解できなかったけども、あの言葉があったから、生き延びることができた。
撤退戦は、敵の弾に当たって死ぬより、餓死した兵の方が多かったんだ。喰うもんがないから、帯剣で掘り起こしたバナナの木の根っこや、赤いキノコなんかも煮て食べた。パイナップルの根っこは軍帽みたいに繊維だらけ。煮ても固くて食べられたもんじゃなかったな。とにかく、生き抜くことが最優先でした。
ビルマで英軍の捕虜となった佐藤さんは、終戦から2年後に帰国。負けた兵が語るべきではないと、長らく戦争の記憶を封印してきたが、今は語り継ぐことが生き延びた自分の使命と考える。今年9月で107歳。
戦争は人を殺すこと。酷い目に遭うのは下の人間ばかり。勝っても負けても死んだ者は帰ってこない。いいことのはずがねえな。
◆
「週刊文春 電子版」では、特集「時代の証言 百寿者が見た戦争」をお読みいただけます。


