日中戦争で、日本に強制連行された中国人は過酷な労働と虐待により多くの命が失われた。戦後、かつての加害兵士たちは、自らの罪にどう向き合い、どのような実態を明かしたのか?
戦時中の生々しい実態を取材したノンフィクション作家・保阪正康さんの著書『昭和陸軍の研究 上』(朝日文庫)より、一部を抜粋。強制連行のゆくえを追う元中隊長の小島隆男や、延安で八路軍の反戦兵士として活動した元日本軍兵士・香川孝志の証言を紹介する。(全2回の2回目/1回目から続く)
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「過去の私の醜い姿が脳裏に蘇って来ます」中国人女性に送った調査報告の手紙
小島は、自らが徴用した中国人がどのような運命をたどったかが気になって、その種の資料を調べ回った。日本に強制連行された者4万1762人、死者は6872人であった。別の資料には、乗船後船内で584人が死亡し、さらに日本の事業所に到着するまでに230人が死亡、8人が不明とあった。
外務省アジア局中国課には、この関係の資料が保管されていると聞き、所定の手続きで申し込んだ。本人の直接の申請でなければ、受けつけられないとして、調査依頼は拒否されてしまった。そこでこの中国人女性に直接申し込みの書類を作成してもらうことにした。その一方で、小島は余生をかけ、わずかな手づるで調査をすすめることにした。
小島はこのような不満足な回答を平成3年4月初めに中国人女性に送った。その手紙のコピーを小島は私にみせた。便箋14枚に心情が綴ってあり、「自然の美しい静かな環境におりますと、それが美しければ美しいほど、過去の私の醜い姿と被害者の方々の重い苦しみと深い悲しみが脳裏に蘇って来ます。思いつめてくると、自然に涙がでます」という一節が末尾にあった。
「殺された人たちの恨みは決して消えない。四十数年たっても、人間の悲しみは消えないんです。私は何とお詫びしていいのか……」
小島は老いた身体をソファに埋めて黙したままだった。この年の7月6日の集会では、この気持ちを参加者に訴えなければ、と低い声で漏らした。



