日中戦争で、旧日本軍は現地の子どもや女性、高齢者ら非戦闘員にも残虐な行為を行ったとされている。日本兵は、なぜ“蛮行”に走ってしまったのか?

 禁固刑を受けた旧日本軍の軍人を取材したノンフィクション作家・保阪正康さんの著書『昭和陸軍の研究 上』(朝日文庫)より、一部を抜粋。旧日本軍の中尉だった鵜野晋太郎の証言を紹介する。(全2回の1回目/2回目に続く)

写真はイメージ ©アフロ

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「日本兵は誰もが人間でなくなっていた」

 村の有力者や村長にカネを払うか、あるいは脅しによって情報をとった。こうして中国人を手なずけ、その人脈を広げていき、日本軍のためになる情報を集めた。中国側からみれば漢奸(かんかん)となる人物を配下に数多く置いた。

 その見返りはアヘンだった。紙幣やダイヤモンドよりもこのほうが価値があった。アヘンは日本軍が押さえていて、日本軍に役立つ情報をもってくる者には、大量のアヘンを渡した。

 情報をもってこないでアヘンを欲しがる漢奸はすぐに殺した。二重スパイの疑いがあるという理由で殺すこともあった。

「最近、新しい情報をもってこないではないか」

 といって殺害することもあった。

 日本軍の連隊本部と大隊本部の情報将校はお互いに競争しあう関係にあった。大隊本部の情報将校がいい情報をとって連隊にあげてくれば、連隊本部としては面子がつぶれる。

 師団司令部の情報将校が、「大隊本部がいい情報をあげてくるではないか」、あるいは「連隊本部の情報は的確なのに大隊本部は何をやっているのか」と勤務評定をする。

 そのため連隊本部や大隊本部の情報将校が、自らの立場を守るために、相手側の使っているスパイを殺害してしまうことさえあった。

 その殺害方法も、呼びだしておいて背後から日本刀で斬殺し、すぐに穴を掘って埋めるという乱暴なものであった。

 下士官のなかには、2年余も斬殺をつづけていて、錯覚を起こして日本兵を斬殺しようとする者まであった。

 鵜野自身、スパイの汚名をかぶせて何人か斬殺したという。——こうした経緯を語る鵜野は、自分も含めて「日本兵は誰もが人間でなくなっていた」という表現を何度も使った。

 日本にいれば平凡な父親であり夫であろう兵士たちが、まるで物の怪に憑かれたように意味もなく蛮行を繰りかえす。多くの兵士や下士官は、特別の軍事的な意味もなく中国人を殺害したというのである。