JR信濃町駅から神宮球場に向かって、通い慣れた道を歩いている。時刻は17時ちょっと過ぎ。つい先日までなら、この時間はまだ太陽が高い位置にあり、すぐに汗ばむほどだったが、このときは夕闇が一気に辺りを支配しそうな気配に満ちていた。チームワーストとなる「96敗」という屈辱の昨シーズンを経て、今季はついにクライマックスシリーズ(CS)進出を決めた。あっという間だった2018年ペナントレースが終わろうとしていた。

 そのとき、いつもの道のりなのに、いつもの光景でないことに気がついた。夏の風物詩でもある「森のビアガーデン」がなくなっていたのだ。夏の間は夕方から多くの人でにぎわい、肉の焼けるいい匂いが満ちていた。しかし、ビアガーデンの入り口は堅く閉ざされ、すでに解体作業が始まっていたのだ。

(あぁ、夏はもう終わったんだな……)

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 つい先日まではかまびすしい鳴き声を響かせていたアブラゼミやミンミンゼミは姿を消し、秋の虫が静かに鳴いていることに、このとき気がついた。この日の試合は、プロ3年目の高橋奎二が、今季3回目の先発登板をすることになっていた。待望のプロ初勝利に向けて、三度目の正直となるかどうか? CS進出も決め、本来ならば期待と希望を胸に、足取りも軽いはずだった。それなのに、僕の気持ちはまったく晴れやかではなかった。

 この日の朝刊の一面に大きく出ていた「由規退団」の文字が、僕の気持ちを暗く沈んだものにしていたのだった。神宮に向かう僕のカバンには背番号《11》、由規のレプリカユニフォームが入っていた。この日の主役は由規ではなく、高橋奎二だった。頭ではよくわかっていたけれど、僕はどうしても背番号《11》を着て、観戦したかったのだ。

今季限りでの退団が発表された由規 ©時事通信社

あの夏の由規は、「自分がどこまで伸びるのか楽しみ」と言った

 由規に初めてインタビューしたのは、彼がまだルーキーだった2008年夏、一軍初登板を目指して埼玉・戸田のファームで奮闘していたときのことだった。いざ、取材が始まって彼と向き合ったときの最初の印象は、「歯が白いな」というものだった。真っ黒に日焼けした肌に白い歯がまぶしく、そして真っ直ぐな力強い瞳が印象的だった。未来のスター選手の匂いを、僕は直感的に感じていた。

 このときのインタビューで、彼が語った印象的な言葉がある。ファームで順調に勝ち星を重ね、当時の八木沢壮六、山部太コーチに多くのことを教わっているという会話の流れで、彼はこんなひと言を口にした。

「今は、自分がどこまで伸びるのかが、すごく楽しみです」

 自分で自分の可能性に期待できるときは、幸せな時期なのだろう。やがて、多くの困難や壁にぶち当たって傷ついていくうちに、人はいつしか現実を知り、限界を悟り、「まぁ、オレはこの程度のものなんだろう」と、何とか自分の心に折り合いをつけようとする。しかし、このときの由規には何の屈託もなく、微塵の陰りもない笑顔で、「自分は自分に期待する」と表明したのだ。

 それは、季節に例えるならば、まさに夏そのものだった。大きな入道雲と真っ青な大空。すべての生命がエネルギッシュに燃え盛っている。このときの由規はそんな佇まいの、恐れを知らぬ18歳の少年だった。彼の前には、輝かしい未来が待ち受けているはずだった……。