鈴木雅と良光夫妻について残っている記録は少ない。雅は和のように本なども出していない。しかし、雅がいかに亡き夫を愛していたかは、25歳で死別したのにその後の生涯、再婚しなかったこと、40代で早くも看護婦の仕事を引退した後、かつて良光と新婚生活を送ったという京都へ引っ越したことで推察される。

京都へ移住したのは病弱な息子のためでもあったという。仕事では看護婦派遣の組織「慈善看護婦会」を立ち上げて成功させるなど、当時の女性としてはマネジメント能力を大いに発揮した人だったが、私生活ではシングルマザーとして2人の子を育て上げるだけで精一杯だったのかもしれない。ただ、生活にかかるお金は、軍人だった夫の遺族年金が支給され、困ってはいなかったという。

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この時代の「看護」が意味したもの

昭和15年(1940年)、日中戦争で孫が出征していくのを見届け、雅は82年の生涯を閉じた。

幕末から明治の内乱の時代、日清・日露戦争を経て大戦が始まるまで、雅と同世代の女性は相次ぐ戦争に翻弄されるしかなかった。

だが、「風、薫る」でも広島の陸軍病院が登場したように、そこにはナイチンゲールのように負傷した兵士を看護する女性たちがいた。この時代の看護とは、父親や兄弟、夫や息子、孫といった家族を兵隊に取られる女性たちの“せめてもの抵抗”だったのかもしれない。

村瀬 まりも(むらせ・まりも)
ライター
1995年、出版社に入社し、アイドル誌の編集部などで働く。フリーランスになってからも別名で芸能人のインタビューを多数手がけ、アイドル・俳優の写真集なども担当している。「リアルサウンド映画部」などに寄稿。
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