医師として活躍するおおたわ史絵さんは、幼い頃から母親の機嫌に振り回され、顔色をうかがいながら育ってきた。やがて母親は「オピオイド」と呼ばれる注射薬に依存するようになり、家庭は壊滅的な状況に陥っていく。おおたわさんが語る、当時の壮絶な記憶とは。
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「聞こえていないことが『聞こえた』と言って怒り出す」幻覚や幻聴が出る状態になっていた母親
おおたわさんの母は、幼少期に盲腸をこじらせてひどい腹膜炎を起こし、10年以上にわたって8回もの手術を繰り返した。手術の影響で腹腔内に癒着が生じ、腹痛発作を繰り返すようになった母に、医師だった父が鎮痛目的でオピオイドを投与したことが依存の始まりだったという。
最初は月に1、2回だった注射が、気づけば1日3本にまで増えていった。おおたわさんは、薬の乱用によって母に起きた変化をこう振り返る。
「聞こえていないことが『聞こえた』と言って怒ったり、私が一言も話していないのに『私のことを悪く言った』と言って怒り出したり、幻覚や幻聴が出る状態になっていたのだと思います」
家のあちこちに注射器や血で汚れた服が散乱している日常
注射痕もただの跡ではなかった。何百回にもわたる薬液の注入によって手足の皮下脂肪は溶け、皮膚が硬化してケロイド状に変性。両腕に打てなくなると太もも、右の太ももが潰れると左へと、両手両足が火傷の跡のように硬くなっていったという。
おおたわさんが高校生になる頃には、引き出しを開ければ注射器だらけ、家のあちこちに注射器や血で汚れた服が散乱しているのが日常になっていた。
薬をやめさせようとすれば、母は「なんで注射をくれないのよ、痛いって言っているのに!」と大暴れした。父に「パパが死んで薬が手に入らなくなったらどうするの」と問われた母は、「その時は死ねばいい」と答えたという。薬のない人生は考えられないほど、依存は深刻だった。
おおたわさんが大学の病院実習でオピオイドの厳重管理を目にし、初めて「我が家は何をしているんだ」と気づいたのは、すでに母の依存が長年にわたって続いた後のことだった。
その後、父とともに依存症専門の外来を受診し、グループセラピーへの入院を経て、ようやく薬の仕入れをストップするという決断に至る経緯は、インタビュー本編で詳しく語られている。
〈つづく〉

