『あなたの花は明日咲く』

「対話」の重要性が叫ばれる現代。私たちは本当に身近な人の話を「聴けて」いるだろうか。50万人を超える人々と対話を重ねたシスターの鈴木秀子さんは、著書『あなたの花は明日咲く』のなかで、相手の潜在能力を引き出し、自ら問題解決へと導く「聴き方」の極意を紹介している。

 今回は本書から、ある会社員Sさんのエピソードをお届けする。Sさんは、30年以上にわたって机を並べ、何でも腹蔵なく話し合える親友だと思っていた同僚のFさんを、突然の死で亡くした。しかしその直後、Fさんが人知れず深刻な家族の問題を抱え、極限のストレス状態にあった事実を知り、愕然する。なぜ自分は親友の苦悩に気づけなかったのか――Sさんの深い後悔と、会社人間が陥りがちな「聞き手になる怖さ」についての葛藤を抜粋して紹介する。

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聞き手になる怖さ

「自分はFさんのことを何でも知っている。互いに腹蔵なく何でも話し合ってきた」

 この強い確信が、根底から覆されたSさんのショックは大きかった。

 三十年を超える年月、机を並べ、同じプロジェクトにかかわり、赤ちょうちんで気勢をあげてきた。それなのに、自分はFさんの苦悩を察してやるどころか、気づきもしなかった。彼の苦境を聞き出す糸口さえも与えてやれなかった。

「それでは、自分自身も家族のことを話していただろうか」

 Sさんは自問しつづけた。

「個人的なことには触れない、会社人間としてだけのつき合いだったのではないか」

 Fさんが胸のうちに秘めて、一人で背負いつづけてきた苦悩の深さを、Sさんはしみじみ思うのであった。

「本当に何でも話し合えていれば、少なくとも、つらい毎日のようすを聞いてやれた。ただひたすら聞いてやるだけでも、多少はFさんの気が晴れたかもしれなかった」

 Fさんの言葉に耳を傾けるというより、その日の憂さをFさんにぶつけることで、自分のほうが楽になっていたのではないか――。Sさんの煩悶はつづく。

「さかのぼって考えれば、長男が問題を起こし始めたころ、暴力がエスカレートする前に、自分がよい聞き手になっていたら、Fさんが一人で重荷を背負い込まず、もう少し客観的になれて、十分に対処できるようになったかもしれない。会社人間である前に、人間として何かできなかっただろうか――」

『神は、口は一つしかつくられなかったが、耳は二つつくられた』という格言通り、聞くことの重要性はよくいわれることだ。

 聞くことの大切さは、頭では理解している。しかし、いったいどう聞けばいいのだろう。相手がそんなせっぱつまった状況にあった場合、仮に話してくれたとしても、自分にいったい何ができただろう。何もできず、無力感を抱くか、それこそ共倒れするぐらいが関の山だったかもしれない。