一時語と永久語を使いわける
自分自身に正直になるコツは、自分を自分自身のものと認めることから始まる。自分を知ること、自分に聞くことは、私たちが認識しているよりはるかに重要なことなのだ。
自分がどういう見解や思いを持っているかによって、人の幸不幸は変わってくる。だから起こった事実に対して、自分は何と言っているのかに耳を傾ける必要がある。思いは言葉になって現われるものなのだ。
失敗した時のことを思い出してみよう。まずい状況になった時、口にこそ出さないが、心の中では、「どうもまずかったな」などと言っている。そして「またやってしまった。私はだめだ」という結論に達しやすい。しかし、これは人を「不幸にする方程式」なのである。
「どうもまずかった」はいい。しかし、「だから私はだめだ」と思う必要はない。
ここで、一時語と永久語の使いわけが重要となる。何か悪いことが起こった時は一時語を使い、良いことが起こった時には永久語を使うのが鉄則だ。
たとえば、失敗をした時には、具体的に範囲をその一つのことにとどめ、「~で失敗をしてしまった」「~を傷つけてしまった」といえばそれでよい。一つの出来事から、一般化して自分の性格を規定していくことはない。「私は一年中、間抜けなことをする」「俺はいつもどじを踏む」といった永久語を使って自分を責めるのはやめることである。「いつも」や「一年中」という言葉を使っていれば、また良くないことは起こる。
人間は、自分の頭で考えていることを引きつけるものだ。悪いこと、嫌なことを考えていれば、必ずそれに引きつけられる。これはとても不思議なことだが、事実である。逆に、良いこと、うれしいこと、楽しいことを考えていれば、そちらに引きつけられる。
だから、自分が何を考えているか、自分の思いに耳を澄ませ、言葉として自分の思いを把握することが大切なのだ。
そして、「私は価値がある人間だ」ということを心がけてほしい。自分の良い評価を、永久語で言葉にすることを習慣にするのだ。悪いことが起こった時、自分に聞いて、永久語で自分を責めているようなら、一時語で事実だけを受けとめ、それでも「私は生かされていて価値のある人間だ」と永久語で自分に言い聞かせる。これが「幸福になる方程式」なのである。
また、自分の感情、他の人への接し方、態度、言葉、行動、そういうことに対して、誰のせいでもなく、それらは自分自身のしていることであると、自分自身を認めることが大切である。「私自身に対して、私がすべてに責任を持ちます」という時、人は他者から愛される道を歩み始めるのである。
つまり、夫は私を怒らせてばかりいるとか、子どもは私をいらいらさせるとか、あの人はいつも私を不愉快な気分にさせるといった被害者意識に埋没する習慣から別れることである。
自分を正確に認識し、「私はいらいらしやすく、かんしゃくを起こしやすい」とか、「皮肉なことを言って相手を見下げ、つべこべ批判したり、憎んだり、脅したり、怒鳴ったりする」といったことを正直に認める。そして、「こうした行動はすべて誰のせいでもない、私に責任がある。すべて私の中から出ていることだ」と認めるのだ。
重要なのは、自分の感情や考え、行動に責任を持つことだ。そのためには、受け身の言葉を使わないようにしてみる。「あなたが私を怒らせた」「なんで私を悲しませるの」といった受け身の言葉を私たちはよく使うが、感情はすべて自分で選びとっているのだ。だから、「あなたが私をそうさせた」ということではない。私が怒り、私が悲しんだのである。
自分の中で自分について認めたくない嫌なことを他の人のせいにするのではなく、嫌な部分が自分の中にあり、それが、自分なのだと認め、それでいて自分を責めることなく歩んでいく時に、周囲の人々との親しい関係への第一歩が築かれるのである。