「玄関の外にかわいらしい提灯を灯しました。知華(ともか)が迷わず家に戻ってこられるようにと。知華のためにお盆の支度をするなんて考えもしませんでした。四十九日を過ぎても泣き通しで食事をする気力さえなく、どうやって生きているのかもわからない日々でした」

「死んで娘に会えるのなら、早くいきたい――」

研修旅行先での知華さん(両親提供)

知華さんの両親が痛ましい心中を告白

 3月16日、同志社国際高校2年生の武石知華さんは、学校の研修旅行で訪れた沖縄県・辺野古で、基地建設反対運動に使われている抗議船に乗っていた。生徒17名を乗せた2隻は、出航後50分ほどで大波にあおられて次々に転覆。17名中16名が病院に搬送され、知華さんは亡くなった。このたび知華さんの両親が、月刊「文藝春秋」10月号(9月10日発売)でノンフィクションライター・三宅玲子氏の取材に、痛ましい心中を告白した。それまで学校の教育方針に全幅の信頼を置いていた両親だったが、学校側が事故後に心を逆撫でするような対応を続けたことから、不信感を募らせていった。

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会見する両親 ©時事通信社

事故当日の校長の言葉に…

 事故当日、第一報は同級生の母親からの連絡だった。船が転覆して知華ちゃんが病院に運ばれたらしい――。母はすぐさま学校に向かった。

「昼休みだからと止める職員を遮って事務室に入りました。すると、やって来た校長の西田喜久夫先生が言ったのです。

『お子さんが亡くなったので、お母さんには沖縄に行ってもらうことになります。飛行機を手配しますので、ご自宅で待機してください』

 伝えられた事実の重大さと、校長先生の淡々とした口調が、あまりにも食い違っていて、にわかには信じられませんでした」

 那覇に着くと、遺体と対面する前に海上保安庁の職員から説明を受けた。引率教員やツアー会社の添乗員も乗船しておらず、知華さんが乗った船は「ヘリ基地反対協議会」の所有する抗議船だったと伝えられた。