服が売れ、和菓子が売れる 伝統文化にも触れられる
武内さんは東京のコンサルティング会社を辞めて、「環境に優しい持続可能な社会実現のための勉強をしたい」と英国の大学院に留学し、欧州で就職活動をしていた。ところが〇五年、郷里の秋田から連絡があった。印刷会社を経営していた両親と二人の兄が自動車事故に遭い、三人が集中治療室に運ばれたという知らせだった。父はその後死去、母は他の病気を発症し、長兄はリハビリを続けなければならなくなった。武内さんは帰郷して、そのまま家業の経営に加わった。両商店街とは少し離れた地区だ。
持続可能な社会実現の夢は捨てなかった。会社の営業で知り合った大町商店街のスーパー(現在は廃業)の社長に話すと「場所を提供するからやってみよう」と言ってくれた。SiNGを結成し、「わらしべ貯金箱」という催しを始めた。不要な物を持ち寄り、それを買う人が自分で百円以上の値段をつけて「貯金箱」にお金を入れる。貯金は社会活動に充てる試みだ。英国での似た取り組みを参考にした。小さな元手が大きな成果につながるはずだと「わらしべ長者」にちなんだ名前を付けた。
少ししてから隣の通町商店街にも持ちかけた。その時に会ったのが同商店街振興組合の前理事長で、和菓子店「勝月(しょうげつ)」会長の片谷信一さん(八十一歳)だ。片谷さんは「どこの青二才か」と思ったが、すぐにわらしべ長者の話に魅入られた。武内さんの両親とは長女のPTAの役員仲間だったとも分かり、「通町でもやってみなさい」と受け入れた。
こうして両商店街で「わらしべ貯金箱」が始まった。この資金を使ってベロタクシーの運行、さらには商店街スゴロクが始まっていく。
ただスゴロクは商店街としては海の物とも山の物ともつかない企画だった。それでも片谷さんの次の理事長で生花店「通町花のさとう」経営の佐藤政則さん(五十八歳)は「面白い。やってみよう」と思った。六十三事業者が加盟する同組合は、五十歳までの青年部に約二十五人が参加しており、市内で最も活気のある商店街と言われている。「誰かが言い出したら否定せず、可能な方法を探してみよう」がモットーだ。
一方、大町商店街は核テナントのダイエーが閉店した時だった。その後、もう一つの核だったショッピングモールも撤退し、「振興組合の加盟は往時の五分の一程度の二十三事業者に減った」(組合事務局の伊藤真由さん)という。
両商店街とも売り上げは年々落ちていた。何かに挑戦しなければという機運があった。だからこそ組合員でもない武内さんの案に乗った。
一〇年四月に初めて開催。効果はあった。まずその日に商品が売れる。この十月の催しでも「女性が品物を見ているうちに試着したいと言い出して、二万七千円の服を買ってくれました」とミセスの衣料品を販売する「マツヤ大町店」の小林友子店長(六十五歳)が語る。同店でスゴロクの訪問者に商品が売れるのは今回が初めてではない。「関谷くだもの店」の関谷喜與美さん(八十六歳)も「二~三割の人は買い物券の他にも買ってくれます」と話す。