待望の妊娠→子宮外妊娠で胎児を摘出 どんなつらい出来事も、2人で乗り越えてきた
――長男のそうまくんが生まれる以前、えいこさんは一度妊娠していたそうですね。
りゅーすけ お互いに子どもを持ちたかったのですが、結婚当初は授かることがなくて……結婚5年目くらいに妻の提案で不妊治療を始めました。そこから2年目に妊娠して。
「やっと妊娠した!」と2人で喜んで、詳細な検査結果が出るまでの約2カ月間は、「どんな名前にしようか」「女の子だったら、こんな名前がいいな」とか話していました。ただ、いろいろと検査する中で、妊娠していると起こる数値の変化があったのに、エコーに赤ちゃんの影が全く映らなかったんです。
大きな病院で検査をしたところ「子宮外妊娠」だとわかりました。この場合、赤ちゃんの成長が難しく、摘出するしかないと。
――待望の妊娠だったのに……。
りゅーすけ 妻はこのまま出産できないと知り、ひどく落胆してしまいました。かなりショックを受けていて、何と言葉をかけていいのかわからないくらいで……。
その子は、近くのお寺で観音様像を作って供養してもらいました。妻は、この子の名前を「はるちゃん」と名付け、はるちゃんのためにワンピースを手作りしていましたね。観音様像にこのワンピースを着せ、そうまが産まれてからも家族でお参りに行っていました。
――言葉では言い表せないほど悲しい経験だったと思います。その後、そうまくんが産まれたのは、不妊治療を再開して?
りゅーすけ そうですね。タイミング療法で、妊娠して赤ちゃんが元気だと分かったときには2人で手を取り合って大喜びしました。出産にももちろん立ち会いましたよ。
妻が痛みを訴えてから病院に連れて行ったんですが、先生からいったん「まだ産まれないね」と帰宅を促されて帰宅したり、その日の深夜に痛みが激しくなってまた病院に行ったり。
――出産を目の当たりにして、いかがでしたか?
りゅーすけ 赤ちゃんはものすごく小さくて、ドラマで見ていたような出産シーンとは違って何だか生々しいなぁと。あとは「この子が僕たちの子どもなんだな、やっと会えた」と2人で喜びを噛み締めました。
――そうまくんが産まれてからは、どのように仕事と家事育児をされていたのですか?
りゅーすけ 私は営業職の会社員として週5日働き、妻は専業主婦でした。基本的には妻が家事育児を担い、仕事終わりや休みの日は2人で家事育児を分担するという、どこにでもいるような家族だったと思います。
――自宅の隣には、えいこさんの実家があるのですよね。
りゅーすけ はい。僕はそこまで頻繁に会うことはなかったのですが、妻は度々行き来していましたね。
妻が倒れる数カ月前に義姉の夫が交通事故で他界して、それからは義姉と姪っ子たちがしばらく実家に泊まるようになっていたんです。妻は落ち込む義姉を励まそうと、その頃は実家に顔を出す頻度が高くなっていました。
