「家の雰囲気が一気に暗くなったとき、妻がもういないのだなと痛感します」

 明るい妻のえいこさんと、待望の末に生まれた息子・そうまくんに囲まれて幸せに過ごしていた、りゅーすけさん(45)。ある朝、「ドンッ」という音で目が覚めるとベッドの脇に意識不明状態で失禁した妻がうずくまっていた。隣に暮らす義理の家族を呼んで応急措置を加え、救急車で病院に搬送したものの、医師からは「妻の脳死」という冷酷な事実を突き付けられた。

 その後、約2週間にわたって看病を続けるも、えいこさんは亡くなりりゅーすけさんは突如シングルファーザーとなった。当時の記憶や、えいこさんが亡くなった後の生活の変化などについて話を聞いた。

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息子のそうまくんを抱くえいこさん。37歳のとき突然心肺停止になり、帰らぬ人となった(本人提供)

倒れた原因も分からず、とにかく声をかけ続けた

――集中治療室に入った後、えいこさんにはどんな処置が施されたのですか?

りゅーすけさん(以下、りゅーすけ) 血圧を上げる薬を投与しながら、点滴や人工呼吸器を付けて何とか生命を維持している状態でした。原因が不明なので何か手術ができるわけではなく、家族が代わる代わる妻を見守りながら声をかけていました。

 本来、ICUの面会できる時間帯は決まっていたと思うのですが、病院からは「いつ来てもいいですよ」と言われていて。今思うと、これは「看取りの段階である」と判断した病院側の配慮だったのかもしれません。妻が搬送された病院は義姉が勤めていた病院だったので、義姉も仕事の合間によく妻の病室を訪れていました。

――えいこさんの入院中、お仕事はどうされていましたか?

りゅーすけ 入院から4~5日は会社に事情を伝えて休みをもらい、病院につきっきりです。職場に復帰してからは、仕事終わりと休日に病院に通っていました。

 病室では、その日にあったことを話しかけたり、妻が好きだったBTSや結婚式で使った曲を流したりしていました。看護師さんから「意識はなくても耳は聞こえていますので、よければ奥さまの好きな音楽を聴かせてあげてください」と教えてもらったんです。

――当時2歳のそうまくんは、どんな様子でしたか?

りゅーすけ 義父母や私がそうまを病室に連れて行っていましたが、妻の状況は全くわかっていなかったと思います。

「子宮外妊娠」をして胎児を摘出するという経験を2人で乗り越え、待望の長男としてそうまくんが生まれた。3人家族として幸せな日々を送る中、えいこさんは突然倒れてしまった(本人提供)

――以降、えいこさんの容態はどう変化していったのですか?

りゅーすけ 最期まで意識が戻ることはなかったのですが、一時は血圧を上げる薬が効いて、60~70ぐらいから100を超えるぐらいに安定したんです。このとき、「このまま落ち着けば、自宅近くの病院に転院して様子を見ることになると思います」といった説明も受けました。ですが、そこから1週間ほどして再び血圧が下がってきて、腎臓の機能低下により排尿をしなくなってきました。