2000年代の女性誌『CanCam』で「小悪魔マッキー」として一世を風靡した西山茉希(40)。新潟県長岡出身のバレーボール少女は、どのようにしてカリスマモデルへの道を歩むことになったのか。その道のりは、輝かしいデビューとは程遠い、泥くさい日々から始まっていた。

 西山茉希さん ©深野未季/文藝春秋

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「夢って何? なんで持ってなきゃいけないの?」夢なき高卒女子の焦燥

 高校で家政科に進んだ西山は、ファッションの楽しさに目覚めた一方で、進路という壁に直面する。周囲の同級生が管理栄養士や保育士といった目標を明確にしていく中、西山だけは取り残されたように感じていた。

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「夢って何? なんで持ってなきゃいけないの? みんないつ見つけたの? みたいな」と西山は当時を振り返る。学力の問題から大学・短大への進学も難しく、かといって打ち込める夢も見当たらない。

「本気の思いがないのにお金だけかける生活をするのはすごく失礼だな」と考えた西山が出した答えは、「とりあえず何かが見つかるまでバイトを掛け持ちしてお金だけ稼ぐ」というものだった。

 

「油まみれの匂いをつけながらやってました」深夜2時の工場バイトも経験

 卒業後、西山が飛び込んだのは派遣バイトの世界だ。夜中のせんべい工場、無印良品の仕分け、工業施設の部品集め、コンビニ、ちゃんこ屋、駅前のビラ配り——。せんべい工場では深夜2時出勤・朝8時上がりという過酷なシフトをこなし、「朝ごはん食べたくなくなるくらい油まみれの匂いをつけながらやってました」と語る。

 その一方で、夢を持って新生活を歩む同級生と再会するたびに、孤独感は深まるばかりだった。

「それぞれ新しいことを始めていて、しんどい、つらいって話をするんです。でもそれは、夢を追いかけている子たちが新しいことをやったから感じられるしんどさで、私は何もない、変わっていないから話せることがない」

 その言葉には、焦りと疎外感がにじむ。

 そんな西山の人生を動かしたのが、東京でのスカウトだった。もっとも、最初から乗り気だったわけではない。「連絡先を交換すればその人から逃れられると思って交換しただけ」だったと明かす。

 意思決定には半年から1年近くかかり、最後の一押しとなったのはスカウト担当者のある一言だった。「飛び込んでもいないのに決めつけるんだね」——プライドを刺激されたことで、西山はようやく「やってみますと決めた」のだという。

 夢なき高校卒業から、カリスマモデル誕生までの紆余曲折は、インタビュー本編で詳しく語られている。

〈つづく〉

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