月の残業は100時間超、深夜帰りに休日出勤は当たり前。それが共同通信社の政治部記者として永田町を駆け回っていた小西一禎さん(54)の日常だった。

 モーレツに働くサラリーマンと専業主婦の両親に育てられた小西さんにとって、男は外に出て働くことが存在価値。共働きでも、家事や育児は「8対2」で大半を妻に任せていた。「妻の仕事を下に見ている部分もあった」と、小西さんは当時を振り返る。 

 しかし、そんな日々が、ある日一変する。

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猛烈に働く中で子どもと接する時間はほとんどなく、第1子である娘と2人きりになるのが怖いと思っていたことも(本人提供)

「お互いそういうものだと思っていた」共働きでも、家事育児はほとんど妻

 1972年生まれの小西さんは、1996年に共同通信社へと入り2005年に政治部へと異動。花形の部署で、パワフルに働いていた。2008年に製薬会社で働く妻と結婚し、2012年に第1子が生まれてからも、その働き方は変わらず。共働きで子育て――と言いつつ、その大半は妻に任せていた。

「平日は、ほぼ子どもと顔を合わせない。周囲の男性記者も全く同じ状態でしたし、妻も私も『そういうものだ』と思っていました。当時は、長女とどう接すればいいのかわからず、『2人になるのが怖い』という感覚でした」

 その後、第2子が生まれた際には「長女のときにできなかったリベンジ」(小西さん)とばかりに、1年間の育休を取得。子どもたちとの距離を埋めたが、復帰後はブランクを取り戻すかのように以前と同じような仕事ぶりに戻った。

ある日、「生活を一変させる知らせ」が……

 もともと夫婦ともに海外赴任の願望があり、小西さんはワシントン勤務を目指していた。しかし、実現はならず。対する妻は「私ががんばる」と宣言していたが、小西さんはどこか冷めた目で見ていた。

「既婚の子連れ女性で海外勤務を実現した前例もないですし、実現するはずないよな、と。どこか甘く見ていたんです」

 見立ては外れ、ある日、妻から海外赴任が決まったと知らされた。その瞬間、小西さんが感じたのは祝福の思いではなかった。応援する気持ちは全くなく、自分の仕事がどうなるのかという不安で心が一杯になったという。

政治記者としてパワフルに働いていた小西一禎さんは、45歳のときに妻の海外赴任により「専業主夫」になった(本人提供)

「今思うと『日本の中心で権力者を取材する、自分の仕事のほうがすばらしい』と、どこかで妻の仕事を過小評価というか、下に見ていた部分もありました。とても彼女の念願が叶ったことを喜べる心境ではありませんでしたね」

 結局、小西さんは休職して“専業主夫”として妻についていくことを決意する。しかし職場では「気が狂ったのか」「あいつ、終わったな」と陰口をたたかれ、米国へ移住した際には、妻に養われる自分が受け入れられず、辛い日々を過ごしたこともあったという。

 続くインタビュー全文では、小西さんが職場で受けた仕打ちや「エリート記者」という立場を捨てて専業主夫の道を選んだ理由。さらに専業主夫生活の苦悩や、家族関係・考え方の変化などについてまとめている。

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