日ハムではなく……斎藤佑樹が「行きたい」と思っていた球団とは?

 30勝目が東大戦ということは、僕が負けたから3回戦があって、そこで先発して勝ったんですね。2試合ともピッチングはほとんど覚えていないんですが(負けた東大戦から中1日、9回を投げ切って被安打4の完封)、通算30勝と300奪三振の両方をクリアできたこと(史上6人目、過去に法大の江川卓、早大の織田淳哉、明大の秋山登、早大の三澤興一、慶大の加藤幹典が達成)は、大学での4年間、ケガもせず、メンバーから外れることもなく、しっかりとリーグ戦を戦えた証でしたから、そこは誇っていいところだと思っています。

 4年秋のリーグ戦は優勝の可能性を残した早稲田と慶應が最後の早慶戦を迎える展開でした。その前に行われたのがドラフト会議です。

六大学リーグでは31勝を挙げた ©文藝春秋

 高校ではプロ入りを希望しませんでしたが、大学4年間を経てプロへ進むことは目標でしたから、大事な1日でした。ドラフト前に球団関係者と会うことはなく、應武監督と両親が各球団と面談していました。ヤクルトとロッテは早くから1位指名を公言してくれていて、2球団とも長く見続けてくれていたので本当にありがたかったです。

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 僕自身、関東の球団を希望していましたし、とくに神宮球場が本拠地のヤクルトには憧れもありました。どちらに指名されても喜んで行くつもりでした。ドラフト間際になると、ソフトバンクも1位でくるという話が聞こえてきました。早実の大先輩、王貞治さんが球団の会長をなさっていて、それも光栄なことでした。ソフトバンクは関東の球団ではなかったけど、僕にとってこの3球団はどこも同じくらい、行きたい球団でしたから。

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