新生・京都南座のこけら落とし公演で『連獅子』の仔獅子、『勧進帳』では源義経に再び挑む市川染五郎。その大人びた美貌に注目が集まるが、本人は筋金入りの純粋な“歌舞伎好き”。自ら芝居の台本を書き、得意の絵では、衣裳の細部まで記憶しており、すらすらと描いてしまう。13歳にして仏像マニアでもあるが、それも歌舞伎の見得との類似点ゆえ。そのすべてが歌舞伎に繋がっているのだ。

#1より続く)

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3歳の頃から弁慶に憧れていた

──染五郎さんの「いつかやりたい憧れの役」不動のナンバー1は『勧進帳』の弁慶だと公言されています。いつ頃から弁慶に憧れるようになったのですか?

染五郎 3歳のとき、東大寺で祖父(白鸚)の弁慶を見たのがきっかけで、弁慶を好きになったのだと思います。こんなところで弁慶を演じるなんてすごいなぁ……と。大仏殿はとても大きくて、広い境内いっぱいにお客様が入っていて、祖父が演じている舞台の上に大仏様のお顔が見えていて。祖父の弁慶には、それまで見たことのないような迫力があったのを、うっすらと覚えています。最初に描いた歌舞伎の絵も弁慶でした。

──あのときは、前日まで降っていた雨が止んで月が出て、鹿が鳴いて、忘れがたい一度きりの『勧進帳』でした。お父さまの幸四郎さんは2014年に41歳で初めて弁慶を演じましたが、当時、「『弁慶を演じるために生まれてきた』と思われるように、豪快な弁慶を目指して千秋楽まで務めたい」とコメントされています。

染五郎 父もずっと弁慶に憧れて、いつか弁慶をやりたいと思っていたと言っていますが、自分も同じです。いつか弁慶ができる歌舞伎役者になりたいと思っています。

『勧進帳』の弁慶は高麗屋の家の役。高祖父の七代目幸四郎は、生涯で1600回弁慶を演じた弁慶役者。曽祖父の初代白鸚は最晩年まで500回以上演じている。そして、祖父の二代目白鸚(当時は九代目幸四郎)は、2008年10月、奈良の東大寺で1000回目の弁慶を演じた。このときの富樫は父幸四郎(当時七代目染五郎)。いまや白鸚は弁慶を1100回以上演じている。

父・幸四郎から言われた教え

──はじめて『勧進帳』の舞台に立たれたのは太刀持(たちもち)でしたね。長い時間、富樫の後ろにずっと座っている大変なお役ですが、お父さまからは、どのように教えていただいたのですか。

『勧進帳』で義経を演じる染五郎さん ©松竹株式会社 禁無断転載

染五郎 初めて太刀持をやらせていただいたのは7歳の時です。台詞はありませんが、富樫の後ろに長い時間じっと座っていて、義経一行が関所を通るのを止めるところで富樫に太刀を渡すというタイミングの難しいお役です。父はこの時、太刀持の心得が書かれている「金太郎太刀持用覚書」というものを作ってくれました(※当時の名は松本金太郎)。

──お芝居のことは、なんでもお父様が教えてくださるのですか。

染五郎 父は、知っていることはすべて教えられるようにしておきたいと言っています。ですから、父にお芝居のことを聞くと、いつも細かいことまで教えてくれます。そして、教わったことは必ず台本に書きこむように言われています。父は、以前と同じお芝居をするとき、必ず自分の書き込みのある前回の台本を使うんです。それはすごいなと思っています。