「命に関わる状態です。このまま集中治療病棟に入院してください」
沖縄から帰宅後、僕は三日間ベッドから出られず、ギブアップ。妻に救急車を呼んでもらった。救急車はすぐに来たが受け入れ先の病院が決まらず、1時間家の前から動けなかった。ああ、これが噂のたらい回しか。電話口で次々と受け入れを断られるのを聞いているのはなかなかしんどい。
最終的にはどんな患者も受け入れるという病院に行くことになった。運ばれた先はさながら野戦病院。痛みに叫ぶ人、幻覚を見ている人、日本語が話せない外国の人。次々と運ばれる患者たち。
僕は吐き気止めを処方され、ぐったりとしていた。看護師がやってくる。「命に関わる状態です。このまま集中治療病棟に入院してください」。逃げていたはずなのに、逃げた先が集中治療病棟だった。ドボーン!!
ケトアシドーシス。ケトン体の過剰な蓄積により血液が酸性化することで意識朦朧などが起こり、場合によっては死に至る。人工透析から逃げて、5年後の自分に会いに行くはずがなんてことになったんだ。
病院の集中治療病棟に繋がれ、またインスリン投与を受けながら体内のバランスを元に戻していくことになった。こうなったら正攻法だ。インスリン注射を打ち、食事をコントロールする。搦め手からのアプローチをやめる。どストレートな病人として腎臓の悪化を抑えよう。
この時、僕の体重は57キロ。中学以来もっとも軽くなっていた。糖質制限のダイエット効果だけは実証できたと思う。
気づけば45歳になっていたが…
集中治療病棟には1週間、一般病棟でさらに1週間過ごして僕は退院した。日々インスリンを打ちながら食事制限をすることで体調は落ち着いてきた。ただ腎臓の数値だけはゆっくりと、だが着実に下り坂を降りていく。あのDVDのバツ印が少しずつ近づいてくる。それでもなんとか抗っていく。
気づけば僕は45歳になっていた。「満期5年」というイベントを恵比寿のリキッドルームで開催し、大盛況で終えることができた。5年後の自分に会う。僕は逃げおおせた……はずだった。だが当たり前だが日常は続く。自分が決めた逃亡目標は流れる時間の中ではただの通過点だった。もちろん気分的には楽にはなった。5年は生き延びたのだ。
二人の娘たちもステージに上がってきて誕生日を祝ってくれた。この時、長女13歳。次女が7歳。果たしてこの子たちはどう成長していくのだろう? 気になるなあ。見てみたいなあ。よし! まだ生きるぞ! ここからはボーナスタイムだ。5年は生き延びた。ここにプラスで何年行けるか?
それでも、この後に及んでも人工透析からは逃げていた。もう固定観念のように思い込んでいた。人工透析が始まったら、僕の人生は終わってしまう。逃げろ!
