さらに3年後、二度目に出場したときには部員わずか11人でもって準優勝して、全国的に有名になった。

 蔦は50歳だった。かつて一升瓶を持って商店街をふらふらしていた男のチームは「さわやかイレブン」なる愛称をつけられ、国民的消費の対象となった。

池田高校を3度の甲子園制覇に導いた蔦文也監督 ©BUNGEISHUNJU

ただの人物伝でも「スポーツもの」でもない

 地元も、豹変した。「阿波池田駅を発つ時は20人ほどだった見送りが、帰った時には400人規模の出迎えとなっていた」。練習試合に観客が殺到し、蔦は名士になり、NHKでドキュメンタリーが放送された。池田高校は甲子園の常連校になった。部員が増え、後援会が寄付金集めに奔走し、蔦自身も講演で全国を飛びまわるようになり……。

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 ここまで来ると、もう、本書はただの人物伝ではない。ましてや単なる「スポーツもの」でもない。この蔦文也という特異な個性をなかだちにして、戦前、戦後、高度経済成長以後、それぞれの時代における日本社会の肌合いをまざまざと読者のなかに甦らせる、スケールの大きい叙事詩である。ここにいるのは他人ではない。蔦文也とは自分である。気がつけば読者はそんなふうに思わされるのだ。

 著者は蔦を神聖視しない。批判もしない。取材でたくさんの関係者に話を聞く過程においては、蔦をほめちぎる人もいるし、酷評する人もいるし、証言自体をためらう人もいる。だが著者はそれらを鵜呑みにせず、ひとつひとつ吟味し、必要なら裏を取って、よりすぐりの情報や判断のみを読者に届ける。

 サブタイトルの「記憶の衝突」というのも、この誠実さのたまものといえそうだ。ただ私の感じでは、この著者は、心のどこかで結局やっぱり蔦文也という人を尊敬しているのだと思う。でなければ、そもそもこんなに手間をかけて本を書こうとは考えないだろうから。まあ、その尊敬は「やれやれ、かなわんなあ」というような呆れの成分をいくぶん含んでいるかもしれないが。

最初から記事を読む 「一升瓶を手に商店街を飲み歩き…どうしてこんなことに」甲子園夏春連覇で“神様になった監督”のナゾ…名門・池田高校と蔦文也に“意外な過去”