島から出られず、「進研ゼミ」が重要な情報源の1つだった

――習い事なども、島の外に通いにいくのでしょうか?

築島 僕には10個以上年の離れた姉がいるのですが、姉の頃はまだ島の子どもたちもそれなりに人数がいて、島外からエレクトーンの先生に来てもらっていたそうです。でも、僕の頃になると、子どもの人数がかなり減っていたので、それもなかったですね。

 島の外に行くためには、船を出さなければいけないから、子ども1人では難しい。だから、僕と近い年代の島の子で習い事をしている人はいませんでした。

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今や子どもどころか、そもそも住んでいる人がほとんどいない(筆者撮影)

――島の外に出るのもひと苦労だったんですね。

築島 はい。僕が中学生の頃に「ドリームキャスト」が発売されたんですよ。自宅でオンラインゲームができるって、当時すごく話題で。「これを使えば、僕も島にいながら世界中の人とつながれる!」と思って、お年玉を全部つぎ込んで買いました。

 でも、当時の島の電話回線では、結局繋がらなかったんですよね。小学校にあったパソコンも、ネットには繋がっていなくて。できるのは、マインスイーパーとソリティアくらいでした。

――では、当時はどうやって外の情報を得ていたのでしょうか。

築島 テレビ経由の人が多かったと思います。自分もテレビからの情報や、「進研ゼミ」で収集していました。

――進研ゼミで? どういうことでしょうか。

築島 進研ゼミって、入っていなくても体験漫画が届くじゃないですか。あれが自分にも届いて、それを読んで入会しました。島には塾も習い事もないので、「やることがある」というだけでも、嬉しかったんですよね。

 それに誌面をめくれば、都会でいま何が流行っているのか、同年代の人たちがどんなことに興味を持っているのかが分かる。都会の同年代の生活を想像して、ワクワクしていました。特に小学校5年生のときは、島で1人、草で遊んだりしているような少年でしたから(笑)。進研ゼミを読んでいる時間が、唯一「外界」と繋がれる瞬間だったんです。

中学からは島外へ。どのように通学していたのか?

――そもそも、進研ゼミのような郵便物は、どうやって島に届けられるのでしょうか。

築島 僕が暮らしていた頃は、対岸にあるポストに島中の郵便物が届けられて、「郵便係」の人がまとめて受け取り、島の各家庭に配っていました。

 ポストに入らない物の場合は、配達員の方から「対岸まで持ってきました」と連絡が来たら、船で取りに行くスタイルです。

――郵便物ひとつ受け取るにも、海を渡らなくちゃいけないんですね……。中学校からは、島外の学校に通っていたんですよね。どのように登校していたのでしょうか。

築島 「スクールボート」と呼ばれる、通学専用の船で対岸に渡っていました。操縦してくれていたのは、島の漁師さん。串間市から委託を受けて、子どもたちのためにやってくれていたそうです。便は1日に1便だけ。学校の規則で「通学はスクールボートに乗ること」と決められていたので、乗り遅れると、その日は学校に行けなくなってしまうんですよ。

築島と本土は船で移動する。築島さんが中学生だった当時、朝1便だけのスクールボートに乗るしかなかったという(筆者撮影)

――乗り遅れたら、欠席ですか。

築島 そうなんです。島民はみんな自分の船を持っているから、物理的には自力で渡れるんですけど、安全のためなのか禁止されていました。ただ僕、朝がとても弱くて……。何度も、乗り遅れそうになりました。

 でも、築島の住宅街は目の前が港で、スクールボートが出る場所も家からすぐなんです。だから、出発の時間が近づいても僕が来ないと、船を動かしてくれるおじさんが呼んでくれるんですよ。「ひろき! このままだと乗り遅れるぞ!」って、家まで届く大声で(笑)。おかげで、一度も欠席せずにすみました。