宮崎県の沖合に浮かぶ小さな島、築島。漁業で栄え、かつて100人ほどが暮らしていたが現在の住民は実質4人と、ほぼ無人島状態だ(2026年10月時点)。本土との間に定期船は通っておらず、地元に住む宮崎県民でも島の存在を知らない人が多い。
そんな島で生まれ育った男性の築島宏樹さんに、当時の生活事情などを教えてもらった。
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最盛期には100人ほど、島民の多くは「どこかで血がつながっている」
――そもそも築島は、どうやって生まれた島なのでしょうか。
築島宏樹さん(以下、築島) もともとは、愛媛県の宇和島からこの島にたどり着いた人たちが、開拓を始めたと聞いています。それを、「山下藤吉」という人が、明治時代に61円で買いとって「築島」としたそうです。
その後、島を買った藤吉さんとその姉弟とで「築島姓」と分家の「近藤姓」となったと聞いています。だから、築島のほとんどの人は「築島さん」か「近藤さん」なんですよ。
――そこから、どうやって島の人は増えていったのでしょうか?
築島 昔は、お見合いや紹介で島外の人とも結婚することが多かったと聞いています。僕の母ももともとは島外の生まれで、父とのお見合いがきっかけで築島に嫁いできたそうです。
そうやって、最盛期だった昭和の中頃には、100人以上が暮らしていたそうです。
――築島さんの学生時代はいかがでしたか。
築島 同年代の異性がそもそもいなかったので、島での初恋みたいなものはできなくて。僕が小1のときに小6だった一番近い年上の異性は、いとこ。逆に、小6のときに小1だった一番近い年下の異性も、親戚でしたから。
初めて「恋」というものを知ったのは、アニメの『あずきちゃん』でした。ちょうど僕と同じ年ごろの子の恋を描いた作品で、それを見ながら「なるほど、これが恋なのか!」と学んでいました(笑)。

