島から本土まで、海を泳いで渡る“スパルタ授業”も

――家の目の前が海で、毎日船に乗る生活だと、海に落ちてしまうこともありそうです。

築島 僕自身、落ちたことがあります。たとえば、中3の真冬の学校帰りに、スクールボートに乗ろうとして、足を踏み外してしまったんです。学ランも教科書も、全部ずぶ濡れになって絶望しました……。

 だから、島では小さい頃から泳ぎを「訓練」する家庭が多いですね。僕も小学校に入る前から、船の横についている黄色い緩衝材を腰にくくり付けられて、父と一緒に泳ぐ練習をさせられていました。絶対子どもたちを泳げるようにするためなのか、なかなかスパルタでしたね。

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学校では本土まで泳いで渡る授業もあったという(筆者撮影)

――どんな授業だったんですか?

築島 海を泳いで、島から本土に渡るんです。島から本土までは200メートルほどの距離で、そんなに長時間泳ぐわけではないのですが、当時は普通に怖かったですね(笑)。

 ただ、おかげで泳ぐのは得意になりました。少なくとも僕の周りでは、ほとんどの人は泳ぎが達者ですね。中学生の頃には、部活が終わったら友達みんなで港に集合して、部活着のまま海に飛び込む、なんてこともよくしていましたね。

――島を離れたのは、高校進学のタイミングだったんですよね。

築島 はい。中学までは島から船で通えましたが、高校は、通うのが難しかったんです。だから、寮のある高校に進学しました。姉も高校からは本土に下宿していましたし、島の多くの子も、そうやって島を出て行っていました。

――生まれ育った場所を離れるのは、寂しくはなかったですか。

築島 それが、特にはなくて。多分、刺激がほしかったんです。

 いま思うと僕、島以外で暮らすことにずっと興味があったんですよね。両親は共働きだけど、島には保育園も幼稚園もないから、入学前から小学校に行って一緒に授業を受けさせてもらったりして(笑)。

 小学生になってからも、もちろん学童はないから、放課後は何して遊ぼうかいつも頭を悩ませて。小学校の途中から、島の小学生が僕1人になってからは余計に、暇だったんです。だから、「島以外で暮らすのはどんな感じなんだろう」と、ワクワクしていました。(つづく)

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