逮捕――そして留置所、拘置所、裁判のこと

〈私は逮捕されてから7か月という長期にわたり留置所に入れられ、また、取り調べを受けました。取り調べは連日のように警察と検察であり、土日もありました。

 休めたのはお正月の1日か2日ぐらいだったと思います。やっと検察の取り調べから帰ったら、休むひまが少ししかないくらい、次は警察の取り調べの連続に、私は途中で何度も苦しくなり「もう好きにして」と叫びそうになりました。あらゆる甘いことや子どもたちのことを言われるたび、何度も途中で心が折れそうになったでしょうか……。警察や検察が私の味方で弁護人の方が敵? と思えることもあったのですが、どんなときでも、少しの時間でも、一審の弁護団の先生方が面会に来て下さり、私を励ましてくれたからこそ、7か月間、どうにか保ったのだと思います。

 この7か月間、もうお正月も関係なく、休日も関係なく、一日に何度も大雪だろうと弁護人面会に来てくれたのと、取り調べ途中で弁護人を呼んでもらい、SOSを何度も出しました。黙秘をしたのですが、黙秘も苦痛で、仕方なく甘い言葉や怒声の取り調べに頭がおかしくなりそうでしたし、取り調べはとてもメチャクチャでした。

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 留置所の食事は朝昼夜とも同じようなお弁当でした。また、接見禁止中だった私は、許可されるものがほとんどなく、朝から夜までの取り調べに心も身もクタクタになっていて、何度も自死を考えましたが、全てを取り上げられている上、留置所で弁護人と私のための被疑者ノートに、日々の状況を書き記すためのボールペンも芯が1ミリしか出ていないものしか借りられませんでした。

 一日に何度か、持病のための薬を自分で注射器で打たないといけなかったのですが、その針をこっそり持ち帰り、私は、その針でウデに子どもたちの名前を彫りましたが、その跡がいまもうっすらと残っています。それくらい思いつめていて、このキズを残してもう自死しようと思っていたのですが……。その名前とメッセージを彫ったころに留置所の刑務官に針を取り上げられてしまいました。〉

写真はイメージ ©getty

 面会時に彼女の左腕を見せてもらうと、取り調べ後にこっそり持ち帰った注射器の針で彫ったというその傷跡が、いまも微かに残っていた。

 5人の子どもたちの名前が彫られていたという。

次の記事に続く 「ラーメンばっかり食べちゃいけんよ」2人殺して、死刑にまでなった彼女がなぜ…《鳥取連続不審死》死刑直前の上田美由紀が残した“奇妙なラストメッセージ”