ピタゴラスイッチ、バザールでござーる、だんご3兄弟などメディアを横断し、革新的な作品を生み出し続けてきた、クリエイティブディレクターの佐藤雅彦氏(72)。教育者としても知られ、慶應義塾大学環境情報学部と東京藝術大学大学院映像研究科で20年以上教鞭をとり、また現在でも、佐藤雅彦研究室の出身者によるクリエイティブグループ「ユーフラテス」などと様々な表現を作り続けている。佐藤氏に教育への思いを聞いた。
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「人を育てるのが一番尊い」
実は、「新しい伝え方を作る」という意味で、教育こそが私の一番やりたかった生涯のテーマなのです。そのきっかけは、幼少期にさかのぼります。
伊豆半島の西側に、私が中学生まで過ごした戸田(へだ)村という漁村がありました。今は沼津市の一部です。中学生の頃は毎日、暇さえあれば、港の岸壁にいました。目の前に御浜という砂の岬が突き出していて、その先にある戸田湾の出口は駿河湾を経て太平洋に繋がっている。あそこから外へ出て、自分はこれからいったい何をするんだろう、とずっと考えていました。周りはほとんど漁師の家でしたが、私の父は小学校の教員をしていました。
小学生の時のこと、ある質問を父親に投げかけました。
「お父さんはどうして先生になったの?」
普段は忙しく子どもの質問にまともに答えない父が、そのときだけは真面目な顔で言いました。その言葉を今でも覚えています。
「いいか雅彦、魚を毎日獲ってくる漁師というのは立派な仕事だ。お百姓さんが野菜や米を毎日育てるのも立派な仕事だ。でも自分は、人を育てるのが一番尊いと思ったからだ」
この「人を育てるのは尊い」という言葉は、少なからず自分の選択に影響を与えました。そもそも、幼い頃から私は、人が何かを習得するさまを見るのが、何よりも好きでした。
大人でも自転車に乗れない人が珍しくない時代に、私は幼稚園の頃から自転車に乗れました。そこで小学校低学年のとき、上級生から近所のおじさんまで集めて自転車教習を開いたんです。
カリキュラムを3段階設定し、終わるごとに自分の小遣いを貯めてご褒美をあげました。もちろんご褒美は子供だけ。第1段階はスティックパン、第2段階はそれにチョコクリームを塗ったものをあげました。私は吝嗇家ですが、教育のことになるとなぜか財布の紐が緩んでしまう。それは今も変わりません。
面白かったのは、乗れるようになると、さっきまで「まあちゃん、どうやって乗るの」と必死に食い下がっていた下級生まで、ぷいとよそを向いて、すいすいと自転車に乗っていて、こちらを顧みない。乗れるようになったから喜ばしいはずなのに、なにか淋しい。でも教育ってこういうものだよな、と思いましたね。
