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微妙な空気に気づいた神宮球場のできごと

 神宮には1980年頃からたびたび足を運んだ。東都リーグの応援で馴染んだ球場でもあった。

 今はなき週刊誌、平凡パンチに籍を置いていた時代には打ち合わせと称して神宮球場に出かけた。実際、打ち合わせを何度もした。レフトポールの真下が待ち合わせの場所であった。

 明るくてのんびりした、たのしい野球観戦だった。

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 むかし、お笑い芸人を志したときの相棒がヤクルトファンだった。何度かヤクルト側、ライトスタンドで見た。

 モーニング娘。の応援仲間にもヤクルトファンがいて、彼はレフトスタンドに座ってくれた。俺がライトスタンドに座ったこともある。なにもなかった。

 それが数年前。俺はカープのユニフォームを着ていたのだろうか。着てなかったと思う。着ていたら俺もライトスタンドには行かなかっただろう。ただ、赤い色のTシャツを着ていたのだと思う。おそらく色違いでいくつも作っていた男の墓場プロダクション、その赤いTシャツを着ていたのだ。ライトスタンドに行こうとしたわけではなく、急いでいてライトスタンドから入場、中に入ってからレフトスタンドに移動しようとしたのだ。ライト側の入場したときにはなにもなかった。スタンドに入ろうとしたとき、係員に制止された。

 広島カープのファンですかと尋ねられた。

 そうです、と答えると、こちらからは入らないほうがいいと言われた。中を通っていくだけですぐレフトスタンドに行くのだと告げたが、その係員は言った。なにが起きるかわからない、安全を保証できない、と。頼むからすぐに下からレフトスタンドに移動してくれと言われた。いままでにいちども体験したことのない出来事だった。なにかが起きたのだと思った。なにかが変わってしまったのだろうかと思った。

 その次の試合は三塁側内野席で見た。いつの間にか、もう忘れた気になっていた。が、時折、感じた。いろんな場所で。居心地の悪さを。

 もしもそれが杞憂なら。勝者に対する、勝者を応援する者に対するジェラシーあるいは単純な腹立ちならいいのだが。

 そう思いながらも奢る気持ちは持たないようにしなければという強い意志が俺の中に生まれて育った。だからなるべく全チームの選手に注目するようにした。注目に留まらず、応援するようにした。

 みんなにもそうあってほしいと願って文春野球のコラムも書いた。2年前に出会った小学生俳優の彼のことをそれで書いた。彼は広島カープにも詳しかった。新井や菊池に対しては好意と尊敬を感じた。彼はジャイアンツファンだった。好きな選手はヤクルトの山中だった。それを書いた。

 気持ちは伝わっていただろうか。

野球は相手があって初めてゲームが成立する

 ある野球評論家に会ったとき、簡単に尋ねた。カープのファンは評判が悪いのですかと、なにげなく、軽く、そっと、ソフトに、尋ねた。彼は残念ながらそうしたことがあると答えた。申し訳なさそうに答えたように見えたが、きっぱりとした答えだった。

 そのあと、別の人。広島カープのファン、そして理解のある関係者。ふたりに尋ねた。その人たちは言い方は違うが同じようなことを言った。これ以上書くと問題がありすぎて書けない。そこまでことを大きくしたくはない。俺としては認めたくない事項もあった。そのひとつひとつをここでは書けない。

 ただ、間違いなくそこになにかある。いや。はっきり書いておこう。相手チームに対する気持ちの問題である。もういちど書くが相手があって初めてゲームが成立するのだ。

 なぜこうなってしまったのか。実は、みんなも気付いていると思うが、カープの選手の中にも苦しい思いをしている人が何人かいそうである。インタビューや談話の端々にそれが見えることがある。もしかしたらそれが最後の最後の部分で選手たちの足を引っ張っていることはないか。

 いまだから書いた。杞憂ならそれでいい。誇大妄想狂の戯言ならそれで読み棄ててください。だが俺はそれがずっと気になっていたのです。

 王貞治さんが現役時代、よく記した言葉。大好きな野球。

 以上です。気分を悪くされたら申し訳ありませんでした。広島カープの好ゲームを期待して筆を置きます。ありがとうございました。

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