ジャンフランコ・ロージ監督は、イタリアのドキュメンタリーの名匠として知られる。その最新作『ポンペイ、雲の下に生きる』は、昨年のヴェネツィア国際映画祭で審査員特別賞を受賞したのち、日本でも昨年10月の山形国際ドキュメンタリー映画祭や、今年5月のイタリア映画祭2026で上映され、観客からの賞賛を浴びた。イタリア映画祭に合わせて来日したロージ監督へのインタビューを、日本での一般公開が始まる今、掲載する。(通訳:大倉美子)

ジャンフランコ・ロージ監督

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きっかけは「出会い」、脚本は書かない

――景観スポットとして有名なヴェスヴィオ山のふもとに広がる、ナポリやポンペイにおけるさまざまな人間模様、また土地が内包する豊饒な時間を浮かび上がらせる、本作『ポンペイ、雲の下に生きる』の出発点をお教えいただけますか。

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映画『ポンペイ、雲の下に生きる』

ロージ 私の作品はすべて、何らかの出会いから始まります。イタリアの小説家であるイタロ・カルヴィーノは、「すべての出会いは真実である」と語っていますが、「出会い」は恋に落ちることと同じで、何かはわからなくても、特別なものを感じるかけがえのない瞬間です。出会いこそが私の映画のスタート地点ですし、出会いがなければ私の映画はまずありません。ですので、あらかじめ「このような形の作品にする」といった方向付けはしませんし、脚本もほぼ書きません。今までの作品は、そのようなスタイルを踏襲してきました。

 とはいえ、それがなかなか難しいことであるとは承知しています。キャリアの初期においては、出資者の方から「事前に脚本を読みたい」と言われたこともありました。しかし、現実を切り取るドキュメンタリーであれば、机の上で書いた脚本が、「現実」を考える上で十分にはなりえませんし、むしろドキュメンタリーを撮る上では、目の前のプランを一度放棄する必要があると、私などは思ってしまうんですね。

映画『ポンペイ、雲の下に生きる』

 私が2010年に制作した「El Sicario, Room 164」というドキュメンタリーは、アメリカのノンフィクション作家であるチャールズ・ボーデンの記事をもとにしたものですが、彼に言われた言葉をよく思い出します。ボーデンはヘビースモーカーで、よくマッチを使ってタバコを吸っていました。そしてある時、マッチ箱に触れて「ここに書ける以上の脚本を書いたら、それは嘘の始まりだ。すべてのアイデアはマッチ箱の中に収まるぐらいのものでなければいけない」と口にしたんですね。その言葉を、映画に向かう際には自然と意識しているように思います。

 まあ、私は映画に向かう際には、マッチ箱よりは少し多く、3、4ページくらいの文章は書くのですが(笑)、ただそれは脚本というよりは、より抽象的な、自分の内面をたどるようなものです。映画の中では誰に出会えるかもわかりませんし、「形」を決めるような文章は書くことはないですね。