子役の寿命は短い。誰しもがいつまでも子どもではいられないように、彼らがそのかわいらしさで世間を魅了することができるのは、ほんの短い間だ。かつて「世界一有名な子役」としてギネスブックにも載ったマコーレー・カルキンは、その最たる例ではないだろうか。
そんな彼が、2026年9月に開催されたエミー賞のステージに登壇し、注目を集めた。彼の代表作である映画『ホーム・アローン』で母親役を演じ、今年1月に惜しまれつつも亡くなったキャサリン・オハラへの追悼スピーチのためだ。
子役として名声を得たために、それ以降も人目にさらされつづけた彼の人生は、一筋縄ではいかないハードなものだったと言っていいだろう。ここではそんなマコーレー・カルキンの現在までの紆余曲折をふり返っていきたい。
「世界一有名な子役」と両親の泥沼裁判
1980年、7人きょうだいの次男としてニューヨークに生まれたマコーレー・カルキンは、4歳からバレエを習い、舞台に立つようになった。その後、1988年に『ジブラルタル号の出帆』で映画デビュー。1989年にジョン・ヒューズが監督を務めた『おじさんに気をつけろ!』でクリス・コロンバスの目に留まり、『ホーム・アローン』(1990年)の主人公・ケビン役はカルキンの当て書きで脚本が執筆されたという。
コロンバスの審美眼は見事に当たり、同作は世界中で大ヒット。世界興行収入は約4億7600万ドルにものぼった。その後、続編の『ホーム・アローン2』(1992年)、同じく当時人気子役だったイライジャ・ウッドと共演した『危険な遊び』(1993年)など、次々と出演作をヒットさせ、「世界一有名な子役」として活躍した。
しかしこれによって、カルキンの両親は豹変する。『ホーム・アローン』の出演料が10万ドルだったのに対し、父キットは続編出演時には450万ドルの出演料を要求。彼が要求するカルキンのギャラは上がりつづけ、1994年の『リッチー・リッチ』の出演料は800万ドル(当時のレートで約8億円)にまで達したという。「ドル箱子役」としてもてはやされるようになったカルキンだったが、あまりの高額なギャラに、オファーは激減する。

