新著『それはどこでも起こり得る』が版を重ねるブレイディみかこ氏と、アクティビストeri氏の白熱対談・後編。ファッションと政治の交差点から、“暮らしの中の小さな革命”で社会を変えるビジョンまで、縦横無尽に語り合った。

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eri氏(右)とブレイディみかこ氏(左) 撮影・鈴木七絵(文藝春秋)

カルチャーの場から政治にコミットする

ブレイディ eriさんは、80年代カルチャーを牽引した古着屋「DEPT」の二代目オーナーでもあるわけですが、昔は服も、社会の問題にたいする抵抗のひとつの形でしたよね。じつは原宿にDEPTがあった頃、私の友達がそこでバイトしていたので、よく遊びに行っていたんですよ。

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 音楽プロデューサーの桑原茂一さんが率いるクラブキングが、DEPTと一緒に青山に小さなお店を出したこともありましたよね。ラテン系音楽のイベントにぴったりな感じの古着が置いてあって、その店にも出入りしてました(笑)。

 こういうカルチャーの場から、デモを率いる人が出てきたというのが面白い。

eri 父・永井誠治が創業したDEPTは、2011年に一度すべての店舗を閉じたんですけど、私が引き継いで、2015年に中目黒で復活させました。父の代のDEPTも、古着屋なのに店内にステージがあって、音楽ライブをやったり原宿にクラブをつくったりと、音楽とファッションのカルチャーを融合した形でやっていたんです。

 まさに桑原茂一さんが発行していたフリーペーパー「freedom dictionary」は小学生の頃から読んでましたが、例えば六ヶ所村の原発廃棄物の問題をアーティストたちが真剣に社会に問うている。そういう発言をすごくかっこいいと思ったことが、私の原体験にあります。

 ファッションやカルチャーの側にいる人間が政治にコミットすることで、とかく政治的なものと距離を置きたがる日本の空気もきっと柔らかくできるはず、という希望を持ってもいます。

ブレイディ 私の世代やeriさんのお父様の時代もそうだと思いますが、今のような「音楽と政治を混ぜる」みたいな空気がまったくなかった世代です。「政治にコミットするのはかっこいい」というのが入口だった人も多かった。

 音楽と政治の話でいうと、イギリスの場合、今パンク世代が右傾化してるんですよ。私もティーンの頃にパンクにのめり込んだ人間ですが、パンク世代って大人や社会の偽善が大嫌いです。そういう人は「リベラルの欺瞞が許せない」という気持ちが強いから、トランプみたいな右派政治家の“剥き出しの悪”は、むしろ正直で気持ちがいいと感じてしまう。隠れてコソコソやる偽善よりまだいい、という理屈です。

 トランプは「私がNYのど真ん中に立って誰かを撃ったとしても、有権者を一人も失わないだろうね」と豪語していますが、国際的な法機関が制裁を加えようとすると、露骨な圧力をかけ、自国を私物化するだけでなく、世界まで私物化しようとしているのは危機的状況です。

ブレイディみかこ氏

「めちゃくちゃな政治に抗議します」

eri 日本の首相はそんなトランプさんにずいぶん感化されていますが…。本書が指摘する、政治的なイデオロギーがなく、その時々で現状最適化をはかる「極中」政治は、まさに現在の骨抜きになった日本の政治状況そのものだと感じます。

 私たちが2月にやったデモのタイトルは、「めちゃくちゃな政治に抗議します」。高市政権が発足してからというもの、国会では与党だけでなく野党も本当に好き勝手やっていて、全体に右傾化しています。首相はろくに会見もしないし、国会で議論を交わそうとしない。民主主義そのものがないがしろにされ、もうめちゃくちゃです。

ブレイディ 結局、政治家が民主主義の理念・規範を守らなくてもいいと思っているということは、有権者が舐められているということなんですよね。今、イギリスで大躍進している右派ポピュリスト政党・リフォームUKは、移民を大量送還し、住んでいる人からも永住権を剥奪すると宣言しています。ヨーロッパの人権条約に入っている限りそれはできないから、脱退すればいいとまで言う。

 でもその条約は、移民だけを守っているわけじゃなくて、その国に住むすべての人の、公平な裁判を受ける権利や教育を受ける権利を守っているものなんです。それが取り上げられるというのは、尊厳(ディグニティ)を失った状態にほかなりません。今守るべきは、人より稼いでいるかとか民族的な誇りとかではなく、自分の基本的な人権であり、尊厳のほうなんです。