ベレー帽にベストという独特のスタイルで知られる戦場カメラマン・渡部陽一さん。その穏やかな語り口からは想像しづらいが、駆け出し時代には壮絶な体験を重ねてきた。
大学時代に訪れたアフリカでは自動小銃を持った少年兵の集団に襲われたことも。目の前で人が殺される衝撃的な光景を目にし、失禁するほどの恐怖を覚えたという。なぜその後も“死線”へと足を運び続けられたのか。
ジャングルで見た“異様な光景”
静岡の港町育ちで、もともとは魚の研究職を志していたという渡部陽一さん。転機は大学の授業で知った、アフリカ・ザイール(現コンゴ民主共和国)の狩猟採集民「ムブティ族」だった。現地で一目見たいと単身で足を踏み入れたところ、待っていたのは内戦下の過酷な現実だったという。
ジャングルを移動している最中には、異様な少年兵たちにも遭遇した。
大型トラックの荷台に、上半身裸ではちまきを巻き自動小銃をたすき掛けにした少年兵が十数人。空砲を乱射しながら近づいてきた彼らに囲まれ、殴られてカメラや財布を奪われた。さらに集落の女性が拉致され、住民が殺される瞬間まで目撃。恐怖のあまり失禁したと振り返る。
“興奮”が導いた戦場カメラマンという道
普通なら二度と行きたくないと思うはずの体験だ。しかし渡部さんは、日本の日常とかけ離れたその世界に「こんな世界があるのか」と強烈な“興奮”を覚えたという。さらに内戦の悲惨さを伝えたいという思いも芽生え、戦場カメラマンを志すようになった。
1993年の初訪問以降、5年間で10回近く同じエリアに通い詰めた。活動資金を稼ぐため選んだのは、横浜・寿町での日雇い労働だった。朝早くから深夜まで、バナナの段ボールを大型トラックへとひたすら手積みする過酷な仕事だ。
続くインタビュー本編では、実際に戦場で撮影された写真とともに、少年兵に囲まれた瞬間の緊迫した状況や、命がけでたどり着いた取材の全貌などを聞いている(つづく)。




