物腰柔らかなゆっくりとした語り口と、ベレー帽にベスト姿で注目を集め、2010年前後にはメディアに引っ張りだことなった、戦場カメラマンの渡部陽一さん。以前のように長期で戦場へ向かうことは減ったというが、現在も取材を続けている。
いくどもの危険な経験を乗り越えてきた渡部さんに、「死」を覚悟したエピソードや、知られざる下積み時代について聞いた。
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日雇いで「バナナの積み込み」をしながら、カメラマン活動を始めた
――Xでは、毎日ホルムズ海峡や、中東イラン情勢についての発信をされています。そこで気になったのが、ほぼ投稿が朝4時ごろなこと。かなり朝型なんですか?
渡部陽一さん(以下、渡部) ずっとフリーランスでやってきた中、写真一本で食べていけなかった時期が長かったんですね。
それで20代の頃、生活費や戦場への渡航費を稼いでいたのが「バナナの積み込み」。朝3~4時ごろ勤務先に行って、深夜まで働く日々を繰り返していたので、その頃の生活サイクルが今でも染み付いているんです。
――珍しいアルバイトですね。どのように見つけたんですか。
渡部 当時、僕は明治学院大学の法学部に通っていて、キャンパスが戸塚(神奈川県)だったんです。ある時、友人から近くに寿町というドヤ街、いわゆる簡易宿泊所が密集して、そこに日雇い労働者が住み込みで働くエリアがあると聞きました。
一般的なアルバイトだと、どうしてもシフト制じゃないですか。その頃から、戦場カメラマンを志していたので、戦局が動いた時にすぐ現地に向かいたかった。それで働き方の融通が利いて、かつその日に現金手渡しの日雇いが良いなと。
かつての寿町は、朝2~3時ごろに待機していると、建設や荷役の仕事を仲介する方がやって来るんです。そこで直接申し込みをして、そのままバスに乗り込んで、大黒ふ頭や桜木町といった港町の仕事現場まで向かう流れでした。
で、僕が初めて連れて行ってもらったのが、バナナの積み込みだったんです。あの時、仕事を待っていた寿町の風景は今でも覚えています。冬場だとタイヤ燃やして暖をとったり、仕事前なのに酒をあおる人も多かったりして。漫画の『明日のジョー』とか、小説の『苦役列車』に描かれている世界そのものでした。




