ジャングルで銃を乱射する少年兵たちに遭遇し……
――それだけ衝撃的な出来事だったんですね。
渡部 そもそもジャングルが、映画『アバター』のような、数十メートルの大木が連なってる熱帯雨林なんですよ。その中に集落が点在していて、原住民が狩猟生活を営んでいることが、もうすでにカルチャーショックでした。
集落を転々と移動している際に、出会う村人が敵対する民兵に略奪されていて、僕ら一行も襲撃に遭うわけです。大型トラックの荷台に、中学生ぐらいの敵兵が15人ほど乗っていて、上半身裸ではちまきを巻いたり、『ランボー』みたいに自動小銃をたすき掛けにしたりしている。やがて彼らが降りてきて、空砲を乱射しながら近づき、身ぐるみを剥がされて……。
普通であれば、もう懲りて行きたくないと思うのでしょうが、僕は日本での暮らしとはかけ離れすぎていることに“興奮”したんですね。数百年前からサバイバル生活を続けながら、内戦下を生き抜いていて、「こんな世界があるのか」と。初めてザイールに行ったのが1993年夏で、その後5年間で、10回近く同じエリアに行きました。
――ものすごいペースですね。
渡部 戦場カメラマンといっても、バックパッカー同然のフリーランスだったので、初期はかなり苦労もしました。
そもそも国境を跨ぐ時に「検閲」という体でカメラを盗られてしまうこともありました。他にも、ザイール川を渡る途中で食料が尽きたり、マラリアに罹患したり、同行していたガイドに財布やカメラ機材を盗まれたり……。色々な苦労がありましたね。
マラリアで死にかけたことも
――マラリアに罹患した際には、命の危機だったそうですね。当時のお話を詳しく伺えますか。
渡部 時系列を追って話すと、1993年の冬に、同じルートで初回のリベンジに向かいました。ナイロビ空港からザイールに入り、ウォークマンと物々交換したカヌーで川を下っていくのですが、1日数キロしか進まない。川のうねりで転覆して、食料も尽きたので木の根っこで飢えをしのいだりしながら、なんとかザイール国内での取材を終えました。
そこで出会った現地人にガイドをしてもらっていたら、カメラ機材や現金を盗まれてしまったんです。一緒にジャングルを歩いたりする中で絶大な信頼関係が出来たと思っていたので、裏切られたショックがすさまじく……。それでも帰国して、またバナナの積み込みでお金を貯め、機材を新調して「さあいくぞ」と意気込んだザイール内戦の取材で、マラウィという国にいた時にマラリアに感染してしまうんです。
続く記事では、マラリア感染で味わった死の恐怖、その他「砂漠でギャングに銃を突き付けられた」などいくつもの危機をどのように乗り越えてきたのか、聞いていく。
記事内で紹介できなかった写真が多数ございます。こちらよりぜひご覧ください。



