――バナナの積み込みとは、どのような仕事なのでしょう。
渡部 海外から来た大型船で運ばれてきたバナナを、市場やスーパーに流通させる大型トラックに移動させるんです。
1箱15~17キロぐらいあるバナナの段ボールを、ひたすら手積みしていくのですが、コンテナの中がものすごい暑さで。コンテナの入り口に、脱水症状にならないよう塩を置いてなめたり、港の防波堤に荷物を載せるパレットを敷いてその上で寝ていたりもしてましたね。
――かなりハードですね……。
渡部 当時は、自分に発破をかけていたんですよ。学生でカメラマンとして活動を始めたものの、右も左も分からないフリーランスでしたから。とにかく現場に通える環境にして、勘を鈍らせないようにしたかった。
写真を撮る時のスピード感や、インタビューの取り方、戦地に辿り着くための立ち回り、関係者とのコネやコミュニケーション力など、どうしてもブランクが空くと、現実に引き戻されて感覚が鈍ってしまいます。数十万円の渡航費をかけて、撮影した写真を買ってもらえない時期もありました。そうなると、余計に気持ちも落ちていくんです。
そうした悪循環に陥らないよう、きつい仕事でも短期で稼いで、年に数回は現地に行こうと決めていました。
「初めての戦場」では恐怖で失禁するほどの壮絶な経験も
――そこまでして戦場カメラマンを志したのは、どんな理由が?
渡部 もともと僕は、さかなクンのような、魚の研究職に就きたいと思っていたんです。地元が静岡県富士市の港町で、実家の前もすぐ海だったので、学生時代は駿河湾で釣りばかりしていました。
そこから気が変わっていくのが高校生ぐらいの頃。『なるほど!ザ・ワールド』に影響を受けたんです。その時の海外レポーターの益田由美さんという方が、各国で中継している姿を見て、富士市の外の世界に目が向くようになりました。
あとは、国際ジャーナリストで作家の落合信彦さんが出ていた『アサヒスーパードライ』のCM。海外の石油製鉄所でインタビューして、汗だくになって現地を駆け回った後に、辛口のスーパードライを飲み干すのがカッコよくて、そこで世界を駆け巡る職業に憧れを抱いたんですね。
――そこから「カメラマン」へはどのように?
渡部 大学の授業でアフリカの「ムブティ族」という狩猟採集民を扱ったんですね。そこで現地の人を見たくなり、ザイール(現在のコンゴ民主共和国)に向かったんです。
ただ当時、ザイールは隣国ルワンダと内戦が続いて、両国の民兵が国境を行き来している状況でした。そんなことも知らず、ふらっとジャングルに入った時に、銃を持った少年兵に取り囲まれて……。殴られてカメラや財布などを盗まれてしまいました。あとは集落に住む女性が拉致されたり、住民が殺される瞬間を目の当たりにして、失禁するほどの衝撃を受けたんです。
命からがらで帰国して、ジャングルでの顛末を家族や友人に話しても、なかなか状況を理解してもらえなかった。当時の恐怖もそうですし、何より内戦の悲惨さを伝えたいと考えた時に、戦場カメラマンとしてやっていこうという決意が固まっていきました。




