2019年4月19日に12人が死傷した「池袋高齢者暴走事故」。その日、87歳の飯塚幸三はいつも通りの朝を迎えていた。足のふらつきを心配する妻の「電車かバスで行きませんか」という提案を断り、愛車のプリウスに乗り込んだ。「今日も無事故で」と自分に言い聞かせながら。
TBSテレビの守田哲氏の新刊『池袋高齢者暴走事故 遺族と加害者家族の2060日』(文藝春秋)では、ドライブレコーダーの映像などをもとに、事故当日の一部始終が克明に再現されている。
「なぜ速度が落ちないのか」
飯塚は安全運転を心がける人物だった。追い越し用の右車線ではなく、習慣的に左車線を走る。赤信号ではギアをパーキングに入れ直し、急発進を避ける。コーラスの練習で週に一度は通い慣れた道を、その日も丁寧に走行していた。
異変が起きたのは午後0時23分26秒。東池袋交差点を左折しながら車線変更を試みた瞬間だった。速度が時速60キロメートルに加速し、スクーターを左から一気に追い抜く。
――あれ、少し速いな。普段と同じような運転をしているのに、なぜ速いのだろう。
ブレーキをさらに踏み込んだつもりが、速度は下がるどころか上がった。エンジン音が急上昇する。車速はスピンしてしまう限界旋回速度に達しようとしていた。
妻の真菜さん(当時31歳)と長女の莉子ちゃん(当時3歳)を失った松永拓也さんの悲劇は、こうして幕を開けた。「些細な日常の選択」がいかにして未曾有の大惨事へと繋がったのか——。
(つづく)
