今年の8月、長期休暇で帰国していた赤根さんにお会いした時は、警戒度がまた一段上がっているように見えました。それと同時に、事態が事態となれば、もっと自分の言葉で語るつもりだ、という決意も口にされていた。かねてから赤根さんはこうおっしゃっていました。
「所長である私への制裁はシンボリックですから、いずれ来るでしょう。しかし、最悪のケースは裁判所そのものが制裁対象になること」
「法の支配」を守り抜くために
著書で貫かれているのは、「力の支配」に対抗する「法の支配」への強い思いだ。
〈もし、ICCが完全につぶれてしまったら、同じような裁判所は二度とつくれないでしょう。世界は「戦争で勝った側が負けた側を裁く」状態へと逆戻りしてしまうかもしれない。そうなれば、法の支配ではなく、力が支配する世界となってしまう。国際的な法秩序の守り手として、私たちは何としても踏みとどまらなくてはならないのです〉
時には“国際法の番人”と呼ばれ、「私が死んでも裁判官の代わりはいる」といった強い言葉のイメージもあり、赤根さんは“戦う人”として語られがちです。しかし、ご本人はこうおっしゃいます。
「法曹にいる人間はみんなそういう意識でやっていますよ」
初めはどこか「巻き込まれてしまった」という感覚もあったかもしれません。それがプーチン政権からの指名手配に始まり、トランプ政権によるICCへの制裁と、世界中で「力の支配」の足音が聞こえてきています。その中で早々に覚悟を決められたのでしょう。本を作った際には、「ウクライナ戦争で目が覚めた。まさかヨーロッパで今世紀に戦争が起きるとは思っていなかった」とおっしゃっていました。決して拳を突き上げて戦うようなタイプではありませんが、心に静かな炎を燃やし続けています。
彼女にとって最も重要なことはICCを守ることです。トランプ政権に足並みを揃えたグローバルサウス(新興・途上国)からの脱退が相次いでいることは気がかりな動きです。もし今後、ICCそのものが制裁を受ければ、世界中の銀行や企業との取引がストップしてしまいます。裁判自体に支障が出る恐れもある。そうなればICCは潰されたも同然です。なにより、ICCが築き上げてきた平和のための努力が無に帰す恐れがある。
こうした現実に直面して、本来の裁判所業務だけでなく、組織存続のための業務に忙殺され、土日も返上で働かれているそうです。日本政府からの支援だけではなく、世界各国の協力を得るためのロビー活動を余儀なくされ、文字通り世界各地を飛び回られている。日本に戻られた時にも、様々な立場の人と会われていました。「法の支配」を守りたいという思いに賛同してもらえる人と話し合って支援の輪を広げていく活動に自ら率先して取り組んでいらっしゃいます。
赤根さんは、政治性や党派性から徹底して距離を置いています。どうしてもプーチン大統領やネタニヤフ首相に逮捕状を発行したという事実が政治的に捉えられがちですが、彼女の立場からすれば、裁判官として法に忠実に仕事をしているだけです。たとえば、彼女はアメリカへの留学経験があり、実はアメリカという国が好きなんです。〈ICCの所長としてアメリカの制裁と対峙する現在でも、その気持ちは変わりません〉と書かれています。個人としての思いと組織としての活動を切り離して考えられる点も、彼女の性格をよく表している気がします。
※約7000字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』に掲載されています(鳥嶋七実「プーチン、トランプと戦う 赤根智子さんの素顔」)。


