――例えば、どんな代償ですか?
ワン まずは体力ですね。徹夜で映画を撮って、昼間はいつものように広告の仕事をする。映画の撮影が終わって家に帰り、少し寝たら、またすぐに広告の撮影に向かう。そのときは考えもしなかったけれど、後になって、なぜあれほど体力が衰えたのかが分かりました。おそらくあの時期に、自分でも想像していなかったほどのエネルギーを消耗していたんでしょうね。
それから経済面です。友人と一緒にお金を出して作った映画で、僕自身も製作費の半分を出しました。かなりの金額でした。でも、映画はまったく売れなかった。結果的に、かなりのお金を失いました。
戒厳令が解除され、一気に解き放たれた狂騒状態
――この映画では、台湾を脱出してニューヨークへ行きたいと願うダンサーを主人公にしています。なぜダンサーを主人公にしたのでしょうか?
ワン 当時、僕は反抗的な若者たちが好むような商品の広告をたくさん撮っていて、出演者にもダンサーを多く起用していました。彼らは身体表現が豊かで、周囲の変化にも敏感な人たちだと思っていたからです。若者たちを観察しているうちに、彼らの生活パターンも分かってきました。昼間はほとんど見かけないのに、夜になるととても活発になる。
この映画の最初のタイトルは『蛾』でした。蛾は夜になると現れて、光のあるところへ飛んでいく。そういう姿が、当時の若者たちの生命力に似ていると思ったんです。今も同じかもしれませんが、夜になると光のある場所へ飛び込んで、狂ったように思い切り遊ぶ。
もちろん、彼らにはもっと広い世界へ行って羽ばたきたいという理想もある。当時の台湾では戒厳令が解除され、それまで抑え込まれていたものが一気に解き放たれるような狂騒のなかで、誰もが自分自身の出口を探していたと思います。僕らの世代では、芸術家やクリエイターにとって、アメリカといえばやはりニューヨークでした。そうなると、主人公が目指す憧れの街も自然とニューヨークになったわけです。
