――劇中の花火祭りはすごかったですね。どういうふうに撮影したのですか?

ワン あれは実際に台南で行われた塩水蜂炮(ロケット花火祭り)です。疫病を追い払うために始まったと伝えられる、無数のロケット花火を激しく打ち上げる独特の祭りです。それを撮るために、メインの35ミリカメラでは主人公を撮り、16ミリカメラも何台も同時に回しました。この撮影のためにわざわざ購入した16ミリカメラもあったのですが、それも撮影中にどこかにぶつかって壊れてしまいました。

 現場では、カメラマンたちは機材を担ぐだけではなく、防護具や防護服も身につけなければならなかった。撮影を終えて戻ってきた皆が、「まるで戦場へ向かうような大変さだった」と言っていました。

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映画『逃亡者狂騒曲』

――しかも、その祭りを撮るだけではなく、群衆の中に俳優も入れて暗殺と追撃の芝居をつけたわけですから、さらに大変だったのではないでしょうか?

ワン 実際、同じ日にすべてを一度に撮り切るのは無理でした。時間が足りなかったし、現場もとてつもなく混乱していた。そのため、芝居の部分は台北に戻ってから似たような場所を探して、追加撮影したカットもかなりありました。

「こんなことを俳優にやらせてはいけない」

――ダンサーが高速道路をバイクで疾走するシーンや、屋上の縁を歩くシーンなども難しい撮影でしたね。

映画『逃亡者狂騒曲』

ワン 今振り返ると、今挙げた場面はどれも本当に危険な撮影でした。僕は何にでも全身全霊をかけてしまい、撮影と冷静に距離を取ることができなかった。今なら、そういう撮影はしないだろうと思います。

 特に屋上のシーンでは、主演のチェン・ホンレンさんに十数階の高さにある建物の縁を歩いてもらいました。ワイヤーアクションのように、彼の腰にワイヤーをつけて安全対策はしていましたが、撮影の途中で、僕自身の足も震えてきたんです。そのとき、「こんな命をかけるようなことを俳優にやらせてはいけない」と思いました。

映画『逃亡者狂騒曲』

――30年後、今の観客にこの映画をどういうふうに見ていただきたいですか?

ワン ショックを受けるかもしれないけれど、観客が見ているのは決してフィクションではなく、当時の僕が見ていた台湾の現実そのものだったんです。この映画を、少しマジック・リアリズム的な要素を持つ「半ドキュメンタリー映画」と理解してもらえたら嬉しいですね。

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