「今は、手術するわけにはいかん。休めん。休んだら、帰る場所は多分ない」
言葉の一つひとつを深刻さとともに紡いでいく梶谷の顔は、18歳から見てきたどの表情でもなかった。試合前のシートノックに入った回数は3回。痛めた肩は、限界を超えていた。
「カジ、お前その肩、いつまで持つんだ?」
「わからん」
多くを語らないことが、かえって事の深刻さを色濃くする。「いつまで」の指す時間が、あと何年続くかわからない現役生活をその状態で過ごすつもりなのか、という意味であることがお互い分かっているからこそ、その答えを明確にすることを恐れる。
昨年、球団史上3人目、1978年以来39年ぶりの20‐20(20本塁打、20盗塁)を達成した。この20‐20、直近10年でみても、プロ野球全体で達成したのは梶谷を含めて7人(9回)しかいない。そんな偉大な記録を達成しつつ、葛藤の中にいた。今季、8月1日の試合でデッドボールを受けて右手尺骨を骨折。今季中の復帰が難しくなったタイミングで、手術に踏み切った。いや、ようやく踏み切ることができたのだ。
「梶谷ちょうちょ事件」の夜のできごと
梶谷が頭角を現したのは、2013年。シーズン終盤、8月からの2ヶ月だけで16本のホームランを放った。プロ7年目、あの有名な「梶谷ちょうちょ事件」と同じ年だ。これが、本当に同じ年に起きたということが、未だに信じられない。
4月のある試合のこと、3回表二死満塁。広島の9番打者大竹が放ったショートゴロを石川雄洋が捕球し、二塁へ送球してスリーアウトチェンジかと思いきや、セカンドベースにいるはずの梶谷は、なぜか一塁ベースの後方にいた。あまりに謎なプレーだったため、「梶谷はちょうちょを追いかけていたに違いない」という説が流れた。このプレーで梶谷は即刻2軍落ち。当日のネットは荒れに荒れ、「梶谷」は急上昇ワード一位だった。
(カジ、相当きついだろうな。今こそ、俺の出番だ)
このことを、笑ってバカにしてやれるのは、今や世界に一人しかいない。入団から苦楽をともにしてきた、一人しかいない。
「カジ、壮大にやらかしたな。急上昇ワード一位だぜ」
「ああ、やらかしたな」
電話の向こうの相手が完全に上の空であることが分かるくらい、憔悴しきっている様子だった。
「カジ、すげえな。お前、ミスしただけで話題になるんだ。俺なんて、誰の話題になることもなく辞めていったんだ。どんな形でも、有名になれるって、注目されてるって、幸せなことじゃねえか」
「……そうだな。ありがとう」
力なく電話は切れた。そこがオリジン弁当の店内で、注文していた2つの弁当を待ちながら大号泣したことは、のちに知らされた。