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「俺は、本当はホームランバッターなんかもしれん」

 ある環境下で一定のストレスを与えると、生物はそれに対抗しようと潜在能力を発揮する。7年目、ラストチャンスの中での大失態は、想像できるうちで最も強いストレスを与えた。あまりに強いそのストレスは、進化圧となって潜在能力のドアをノックした。この4ヶ月後の8月に、梶谷は月間で8本のホームランを打つことになる。

 9月、鬼神のごとく打ちまくる梶谷に会った時、「目の前で話しているこの男は一体誰だ?」と思うくらい、別人になっていた。わずか4ヶ月。この間に、梶谷は間違いなく進化した。外見は全く変わっていない。それもそのはず、4ヶ月で肉体が丸々生まれ変わるわけがない。変わったのは、言葉だ。

「俺は、本当はホームランバッターなんかもしれん。そう、決めてみたんよ。実際はそうじゃなかったとしても、どのみち俺、このままやったらクビになるけんね。だったら、最後なんやし、そう決めてみてもいいじゃん」

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 自分が何者であるかを、「ホームランバッターである」と再定義した時、梶谷のバッティングフォームは明らかに変質した。2ヶ月でホームラン16本は、シーズンを通すと50本に迫るペースである。このころ、梶谷は間違いなくホームランバッターだった。ストレス下で、潜在能力は大爆発した。

横須賀でともに経験した“地獄の猛練習”

 お互いが考えていることは、大体わかる。入団当時、背番号62が私で、梶谷が63。寮の部屋も隣で、何かとセットで動くことが多かった。練習内容を記したホワイトボードには決まって、「早出62・63 個別62・63 夜間62・63」と書かれ、全体練習が終わると梶谷が万永さんのノックを受け、私が高木(由一)さんとティーバッティング。2時間休みなしでこなし、今度はノックとティーバッティングを交代。それが終わったら一緒にボールを拾い、グラウンドを整備し、ストップウォッチを持って待ち構えている谷川コーチのもとに行ってランニング。そこから室内練習場に移動してロープ登りと懸垂。その後にウエイトトレーニングで、夜ご飯を挟み、夜間練習。

 文字通り、朝から晩まで汗にまみれ、泥にまみれ、血にまみれて毎日練習した。この地獄の練習から逃れる方法はただ一つ、試合に出て結果を出すこと。ただ、高卒1年目の選手が簡単に試合に出られるほどプロの世界は甘くない。この年、二軍の試合で打ったヒットは、梶谷が5本、私が2本。内野手時代の梶谷が二軍戦で記録した1イニング3エラーという記録は、まだ記録として残っているだろう。あのころ、「悔しい」という感情よりも、「あと何年でクビになるか」という不安の方がはるかに大きかった。それでも、希望もあった。日々自分たちがうまくなっている、強くなっている実感と、「いつかは一軍でプレーする」という未来への期待があった。期待と不安、地獄のような練習の日々を共有してきたからこそ、お互いの考えていることは大体わかるのだ。

年齢、怪我……梶谷の葛藤

 だからこそ、梶谷の活躍は自分ごとのように嬉しい。2014年に盗塁王を獲得したときにプレゼントしたプレートは、実は自分用にもう一枚作ってとってある。一昨年のCSで、指の骨を折りながらホームランを打ったときも、その痛みや喜びまで手に取るように伝わってきた。昨季から今季にかけての梶谷の葛藤も、痛いほど伝わって来る。30歳という決して若くない年齢に加え、活きの良い若手もどんどん伸びてきている。その中で、怪我を抱えながらプレーする不安、休めないジレンマ、思わず漏らした本音も、そこに至るまでにどれだけ苦労したかということを知っているだけに、なおさら理解できる。

 それでも、走れ、カジ。
お前の夢は、俺の夢でもあるのだから。

 相反する二つの概念が、お互いを存在させ合う。“勝つ喜び”は“負ける悔しさ”があるから存在できる。負けたことのない人に、勝つことの本当の喜びは分からない。もしそうだとしたら、負けることへの感謝を忘れてはならない。同じように、直面している不安や葛藤になんらかの意味があるのならば、感謝せねばなるまい。少なくとも、そんな高次元な不安や葛藤を味わうことができなかった私の分まで、存分に味わってもらいたい。

 だから、走れ、カジ。
あの横須賀での猛練習は、ここで諦めないためにある。
俺たちの夢は、まだ終わっていない。

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