ライオンズは僕にとって、「大家さんちの息子」のようなものである。

 かけ出しの構成作家として四谷の文化放送で産湯をつかい、かれこれ30年、何らかのレギュラー番組を持たせてもらっている。途中からフリーになり、オフィスをもたない僕は居候のように浜松町に入り浸ってきた。東京の親代わりの「大家さん」なのである(家賃を払わない上に報酬までいただいているが)。

 それだけ世話になっている大家さんが「はっきり言ってライオンズびいきです」というのだからライオンズのファンになればいいものを、構成を担当した番組「えのきどいちろう意気揚々」をきっかけにファイターズ・ファンになってしまったのは、中日ファンだった頃、日本シリーズで2度も辛酸をなめたからかもしれない。

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「大家さんと僕」の心がひとつになるとき

 ここ数年、「セットアップ」、「DASH!!アミーゴ1号2号」といった報道スポーツセンターが制作する番組を担当したのでライオンズを取り上げることが多くなり、選手やOBをゲストに迎える機会も増えた。彼らの魅力を伝えているうちにこっちにも情がわいてくる。何より、普段いっしょに仕事をしているアナウンサーやディレクターがみんなライオンズを愛し、応援しているのだ。「大家さんちの息子」を憎からず思っている。

 ファイターズ・ファンであっても肩身が狭いことはない。キャッチフレーズが「パリーグきこうぜ!文化放送」であり、えのきどさんがちょいちょい出演したり、「岩本勉のまいどスポーツ」というファイターズOBの長寿番組もあって、準フランチャイズ感さえ漂う。むしろ、ライオンズがBクラスに甘んじていた数年は「ファイターズは強くていいね」とうらやましがられていた。

 で、今回のクライマックス・ファイナルである。「大家さんと僕」が心ひとつにライオンズを応援する機会がやってきた。ファイターズがホークスに勝っていれば、もちろんファイターズを応援したがそれは叶わず。となれば、大家さんちの息子=ライオンズを応援するだけだ。

文化放送ヘビーリスナーの秋山翔吾

 とりわけ応援しているのが、背番号55、秋山翔吾だ。2016年の新春特番「吾は世界へ翔く ~ 秋山翔吾 新春ヒットパレード 〜」で初めて会った当時27歳の彼は、まさに好漢。物おじしないが礼儀正しく、インタビューには自分の言葉で正直に答える。
僕に娘がいれば「嫁にやりたい男No.1」、人事担当なら「採用したい男No.1」。そして、番組スタッフ的に嬉しいのは、“秋山翔吾はラジオ好き”ということだ。これはウィキペディアに載ってないのが不思議なくらい、文化放送リスナーの「常識」である。

「よく文化放送を聴いてる」という話は彼がシーズン216安打を記録した頃から知っていた。しかし、ここまでとは思わなかった。今や「radikoのタイムフリー」でプロ野球選手が自分の打席を聴く時代なのである。某アナウンサーが彼の打席で一瞬「秋山幸二」と言い間違えたのをアナ本人は気づいていなかった。後日、「秋山幸二って間違えましたね? 光栄です」という秋山翔吾の不敵な笑みで気づいたそうだ。

「よく文化放送を聴いてる」という秋山翔吾 ©文藝春秋

 ナイターオフの番組にゲスト出演したとき、「ああ、あのコーナーですね。大体7分くらいですよね」と普段聴いているので打ち合わせが早かった……と語るのは、フリーアナウンサーの小川真由美さんだ。彼女は西武ドームで初めてあいさつした際「いつも真由美さんの番組聴いてますよ!」と言われて感激した。さらに「競馬のコーナー面白くて大好きなんです。最近やらないですよね。予想が当たらないからやめたんですか?」と痛いところを突いてきたという。まるで文化放送の前で出待ちしているヘビーリスナーの会話じゃないか。だから「小川さん」でなく自然に「真由美さん」と呼べる。これでまんまと秋山翔吾ファンになってしまった真由美さんから色々エピソードを聞いた。