自分で言うのもなんだが、私は「本物」の地面師をおよそ知らない。
10年ほど前、大手企業が地面師グループに55億円を騙し取られた事件に興味を抱き、作品にしようと思った。事件に着想を得つつ、小説中の犯罪も登場人物もあくまでフィクションとして造形した。新聞や雑誌の記事を渉猟し、過去の地面師事件も調べたものの、当事者や直接の関係者に取材したわけではなかった。
本書は、実際の積水ハウス事件で「連絡役」として実刑判決を受けたカトウを追ったノンフィクションだが、地面師グループの使い走りだった男の取材を軸に、膨大な資料と関係者への綿密な取材から事件の内幕を描き出している。読み終えた今、あの事件に関わった人間の姿が、ようやく私にも見えてきた気がする。
カトウは事件の報酬として2億円を受け取りながら、高級ホテルのスイートルームで札束を取り出すと、事の重大さに遅ればせながら怯え、涙を流したという。
酒も薬物もやらず、恐怖から逃れようとデリヘル嬢を呼んで性欲を満たしても、残ったのは虚しさだけだった。地面師稼業から足を洗おうと、2億円のうち1億5000万円を主犯格に返した。手元に残った金で高級車や時計を買ったものの、後に金に詰まって売り払い、結局何も残らなかった。
本書には、斯界を渡り歩いた者ならではの風格を漂わせる大物地面師も登場するが、その中でカトウだけがどこか異質に映る。
持ち前の愛嬌と従順さで年上の男たちを慕い、使われ、「連絡役」という末端に甘んじる。大金を手にしても悪党になりきれず、事件の大きさに恐れをなして逃げ出そうとする。そのちぐはぐさが、妙に生々しい。
なぜ、カトウが地面師の一員になったのか。
カトウはかつて借金を重ね、ガスも水道も止められ、公園の水を飲んで食いつないでいた。それでも一発逆転を夢見つづけた。ついに大金を手にしたのに、大半を手放し、残った金も最後には失った。人生は何ひとつ逆転しなかった。
本書が面白いのは、そんな男の告白だけで終わらないところにある。著者は捜査資料や判決文を読み込み、関係者への裏取りを重ね、主犯格とされた男たちと手紙を交わし、面会した。取材を拒んだカトウの兄についても諦めず、故郷まで出向き、自宅を探し当て、インターホンを押した。ここまでくると、取材というより執念に近い。
金を騙し取ることに執着した地面師たち、一発逆転に執着したカトウ、そして、そのカトウという人間を知ることに執着した著者……それらの軌跡を辿っていくうち、55億円という数字がしだいに遠のき、ひとりの男の人生がむき出しにされていく。
男が札束を前にして漏らした言葉が、読後、ふたたび耳奥によみがえる。
――なにやってんだ、俺は……。
かわいももこ/1977年東京都生まれ。ライター。編集プロダクションを経て独立。週刊誌を中心に執筆。幅広く取材活動を行う。特に性風俗にまつわる事件などアングラな業界を長年取材。本作で第32回小学館ノンフィクション大賞を受賞。
しんじょうこう/1983年、東京都出身。2012年『狭小邸宅』でデビュー。24年『地面師たち』が実写ドラマ化され、話題に。
