『〈家庭の天使〉を殺す時間』(二沓ようこ 著)

 本書で紹介されている4人の女性作家たちの存在を、私はこれまで知らずにいた。多くの人がそうだろう。女性探偵小説作家の先駆者であった彼女たちが、どのように現れ、何故、消えてしまったのか。本書は、わずかな手がかりをたどり、幻の作家たちの正体に迫りながら、その作品をジェンダーの視点から読み解き、さらには、当時から今日に至るまでの日本の探偵小説界や探偵小説が、女性をどう扱ってきたのかを分析している。

 イギリスの作家、ヴァージニア・ウルフは、女性が自分らしくものを書くためには、男性の気分を損ねないものを書くようにと誘導してくる、〈家庭の天使〉――ヴィクトリア朝の時代に理想とされていた女性像――を殺す必要があると述べたが、〈家庭の天使〉の幻影に苦しめられたのは日本の女性探偵小説作家たちも同じだ。彼女たちが文壇に現れた頃は、探偵小説の書き手も読み手も編集者も評論家もほぼ男性のみで、有名作家たちが、「女性は論理的思考に向かない」などと堂々と書いていた時代だった。

 本書の中で並べて評されているウルフの『ダロウェイ夫人』と夏樹静子の『Wの悲劇』は、どちらも女性が〈家庭の天使〉を殺すときを描きながら、最後は、ヒロインは家庭の天使の役割を演じ続けるだろうことを示唆する終わり方をする。2人の著者がその結末をよしとしていたわけでなく、それが当時の現実であると認識していたからだろう。それでも一石を投じる意味があると信じて書いたのだろうし、その一石は間違いなく、大きな石だったと思う。幻となってしまった女性作家たちも含め、先駆者たちが精一杯石を投げた結果として、探偵小説は男性だけのものではなくなったのだ。

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 ジェンダーの規範に挑戦した彼女たちの作品を〈抵抗の文学〉ととらえた文芸批評としても、これまで注目されてこなかった日本ミステリ史の側面を書いた本としても、本書は非常に興味深く、意味と価値のある一冊だ。しかも、幻となっていた作家たちの足跡を著者がたどる過程は、読み物としてもおもしろい。

 たとえば、第3章で著者が、男性名を使って素姓を隠していた作家・大貫進の手がかりを探し回り、地道な調査があるきっかけで突如進展するところは刑事ものの小説さながらだし、第4章で彗星の如く現れて消えた松原安里の「正体」を探る過程も、一編のミステリ小説のようだ。また、第5章では、夏樹静子『Wの悲劇』へ寄せられたエラリー・クイーンによる解説が何故、友好的でありながら、一部的外れとも思える内容だったかの考察もされていて、なるほどと思った。ミステリ好きが楽しめる本であることは間違いないので、これまでジェンダー問題に興味がなかった人も、是非手にとってみてほしい。

にとうようこ/福岡市中央区在住。文芸批評、エッセイを新聞・雑誌に多数連載。「文学批評 敍説」所属。日本詩人クラブ会員。福岡県詩人賞、福岡市文学賞(評論部門)受賞。

おりがみきょうや/1980年、ロンドン生まれ。作家。著書に『記憶屋』シリーズ、『ライアーハウスの殺人』他。