昨年還暦を迎えた本木さんが、俳優人生や家族について語る。(取材・構成 小峰敦子)
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昨年12月に60歳になりました。今どき還暦なんてヒヨッコ。でも2拠点生活を送るロンドンでは電車やバスが無料になるし、日本でも映画はシニア料金で観られる。“老後”の入口にいることは確かです。
若い頃は地球の引力に逆らうことが重要なのであり、表現者としてはそれが糧になるし、またバネにもなると信じていましたが、今は気負いと希望がうまく相殺され、ようやく地球の引力に反発することなく自然に立っていられる感覚──って何言ってるんだろう(苦笑)。赤塚不二夫さんの「頭のいいヤツは、分かりやすく話す。頭の悪いヤツほど、難しく話すんだよ」という名言がありますが、この頭の悪いヤツってまるで私。でも私の中には分かりやすさばかり求める風潮への反発もあるから、この悪癖がなかなか直らない。
還暦を記念して6月に出した写真集には『awai 刹那と永遠のまにまに』とタイトルをつけました。「あわい」とは2つのものが溶け合っている「間」のこと。
〈思えば幼い頃から 慎重なのか頑固なのか 拘るわりには主張しきれず 優柔不断を繰り返してきた 常に不安を体裁で覆い隠してはいるが 実は傷を晒せる強い人物には憧れている〉(『awai』収録のエッセイより)
うわべだけの会話は嫌いなくせに、自分の本当の姿は誰にも見せていないと言いたがる。思えばこの性格が、結婚生活においてもつねに問題になってきた気がします。
「本木には音楽感じねえからな」
私が妻の也哉子と知り合えたのは、彼女の父・内田裕也のおかげです。92年に裕也さんが脚本と主演を務めた映画『魚からダイオキシン!!』に出演してからの付き合いで、「本木には音楽感じねえからな」と言われながらも興味を持っていただき、間近でロックスピリットも見せていただくことになりました。
也哉子と出会ったのもこの映画の食事会の席でした。この時、彼女は15歳で、生まれる前に出て行ったきりの父親に年1回の面会で呼びつけられたのに放置され、周囲の喧噪から少し離れてひとりでご飯を食べていた。そんな中、私が「あなたも飲む?」と声をかけた。そして17歳の時にプロポーズして、19歳で結婚ですから、今なら批判の的だったでしょう。


