故・樹木希林さんと暮らした二世帯住宅。夫の不祥事のたびに樹木さんが会見を開いたことでも知られるこの家の2階で、10歳違いの夫婦は「崖っぷちどころか、崖ごと崩れ落ちるぐらいの大きな喧嘩」 (本木さん)をしばしば繰り広げる。「ときに、それが明け方の4時まで続くことも」(也哉子さん)。

 日本でいちばんの“晒さらされた”家族に本木さんが婿入りしたのは、29歳のとき。結婚のためにパリの大学を中退した也哉子さんは、まだ19歳だった。 純愛の28年後ーー、はじめての夫婦対談で、あらためて覗く相手の胸の内。洗いざらいのやり取りを『週刊文春WOMAN2024創刊5周年記念号』より一部編集、抜粋の上、ご紹介します。

内田也哉子さんと本木雅弘さん

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創刊から書き綴ってきたエッセイが1冊の本に

内田 今日は私がインタビュアーなので、最初にご挨拶させてください。これまで夫婦揃ってメディアに出ることは極力控えてきました。その禁を破って出てきてくれた本木さんに、まずはお礼を言いたいです。ありがとうございます。

本木 とんでもないです。『週刊文春WOMAN』の5周年と、創刊からあなたが書き綴ってきたエッセイが1冊の本(『BLANK PAGE 空っぽを満たす旅』文藝春秋)になったとのことなので……。

内田 しぶしぶ?

本木 いえいえ、いい記念なので、お祝いに私もひと恥かいてあげましょうと参上した次第です。

本木雅弘「お祝いに私もひと恥かいてあげましょうと参上した次第です」

積極的なのか消極的なのかわからなかったプロポーズ

――27歳の本木雅弘から17歳の内田也哉子へのプロポーズの言葉。「私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。今すぐじゃなくても、いつか結婚という選択肢が現れたとき、私もそこに入れてください」(1993年の夏、西麻布にあった関西割烹「川奈」の座敷にて)

内田 いかにも本木さんらしい表現だと思うけれど、そのときは、なんだか積極的なのか消極的なのか、さっぱりわからなかった。それに不意打ちもいいところで、私たちは文通はしていたとはいえ、絵ハガキを送れば忘れた頃に返事が届くという程度で、密にやり取りしていたわけではありません。だから、一気に結婚まで話が飛躍したことに、ただ驚きました。