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「恋愛も結婚もしなくてもいいのよ。でもね、つがいではいたほうがいい」浅田美代子が語った樹木希林の“人生観”

2021/09/25

 わたしたちは「樹木希林」依存症だ。生きていくおかしみも、哀しみも、すべてこの人から学ぼうとした──小誌は2018年12月発売の創刊号で、同年9月に逝去した樹木希林さんをこう追悼した。そのおかしみや哀しみをいちばん近くで学んでいたのが浅田美代子さんだ。

 浅田さんは希林さんの3回目の命日に当たる9月15日、初の著書『ひとりじめ』(文藝春秋)を上梓。ずっと“ひとりじめ”してきた希林さんとの思い出を自らの半生とともに綴った。

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希林さんが繰り返した、「私の責任もあるから」

 1973年、私はTBSの国民的人気ドラマ『時間ですよ』でデビューしました。これは銭湯が舞台で、おかみさんが森光子さん、従業員は希林さん(当時の芸名は悠木千帆)とマチャアキさん(堺正章)という曲者2人。毎年新人を登用していて、私の前年は天地真理さんで「2階のマリちゃん」として人気でした。

 その新人オーディションで私は初めて希林さんに出会ったんです。希林さんは審査員のひとり、私は演技の経験もない女子高生。控室には綺麗な女の子ばかりいたから、ああ、私は落ちたなと思っていました。

浅田美代子さん ©杉山秀樹/文藝春秋

 それがなぜか合格してしまい、私は両親の反対を押し切って、すぐに高校を中退しました。合格しなければ、成城大学に入りたいと思っているひとりの女子高生に戻り、芸能界に入ることはなかったはずです。希林さんは後々までよく言っていました。

「浅田美代子は私が関わったオーディションで芸能界に入ったから、ここでやっていけるかどうかは私の責任もあるから」

「普通の感覚を大切にしなさい」それをわからせるために…

 希林さんの厳しい指導はすぐに始まり、例えば、私が自分のセリフにマーカーで線を引いて覚えようとしていると、希林さんはそれを禁じました。

「やめなさい。そういうふうにすると、自分のセリフしか見えなくなるでしょう? 芝居は人のセリフがあって成り立つものなんだから」

『週刊文春WOMAN vol.11(2021年 秋号)』

 それから今日に至るまで、私は台本に線を引いたことがありません。後年、私の台本を見た俳優から、「ちっとも勉強していないんだな」と呆れられたことがありましたが、台本との向き合い方は希林さん仕込みの私のほうが正しいんだという自信がありました。

 私は田舎から出てきて銭湯の従業員になるミヨちゃんの役で、希林さんからは「普通の人を演じるのだから、普通の感覚を大切にしなさい」「技術を磨くより、まずは気持ちだよ」とよく言われました。それはどういうことなのか私にわからせるために、希林さんは本番中に突然、私のスカートをめくるんです。私が思わず、「きゃー!やめてよっ!!」と叫ぶと、それがリアルでいい芝居だと、ほくそ笑んでいたんですよ。

 希林さんは芝居のことだけでなく人としての生き方についても、アドバイスしてくれました。だから私は自然に、胸に抱えていた父への嫌悪感や幸せとはいえない家庭の事情を打ち明けるようになったんです。