昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

2021/09/25

 久世さんと希林さんのわだかまりが解消するまでに25年かかりましたが、仲直りした後の2人は前にもまして信頼し合っていました。2005年に希林さんが乳がんの手術を受けた時は、なかなか男性が女性の病室を見舞いに訪れるということはしないと思うのですが、久世さんは頻繁に来ていました。

四半世紀の絶交を経て、再び親交を深めた久世光彦さんと ©文藝春秋

 久世さんは2回直木賞の候補になったものの受賞はできずに06年、70歳で亡くなりました。訃報に接したときに希林さんがつぶやきました。「直木賞、獲らせてあげたかったね」と。

「恋愛も結婚もしなくてもいい。でも、つがいでいたほうがいい」

 私が離婚した当時と違い、いまや離婚にもおひとりさまにもネガティブな印象はなくなりました。希林さんは結婚もして子どももいましたが、裕也さんとは結婚して間もない時期から別居したままでしたし、也哉子ちゃんは9歳から留学して19歳で結婚したので、希林さんはほとんどひとりで暮らし、仕事でもマネージャーを置かず、どこに行くにも何をするにもすべてひとりで決めてきました。家族はいても、本質的にはいつも“ひとり”を楽しんで生きていたと思いますね。

 ただし、いろいろな意味で「つがい」がいいと言っていました。

「恋愛も結婚もしたくない人はしなくてもいいのよ。そんなのは自由。でもね、つがいではいたほうがいいとは思うなぁ。人生はひとりで歩むよりも、つがいになって歩んだほうが面白いからね。歳とってからも、一緒にお茶を飲めるような……。いつかそういう人が見つかるといいね」

 私の両親は離婚しました。母は私が結婚し、弟が大学を卒業するのを待って家を出ました。それ以来、私は父とは会っていません。父は家に出入りしていた女性とは身包み剝がされるようにして別れ、70歳になる前に独り病院で最期を迎えたそうです。

 母は離婚後、やっと人生を楽しむようになりましたが、68歳で突然、急性リンパ性白血病を発症しました。すぐに抗がん剤治療を始めなければ余命は1カ月だという告知を受けた翌日、うろたえる私を希林さんはいつものように諭してくれました。

「治療する余地があるのなら、それは神様とお母さんが美代ちゃんのためにくれた時間よ。お別れまでの準備ができる時間なんだから」

 その通りだと思いました。それから母は辛い抗がん剤治療にも一切弱音を吐かず、2年間という私が看取る時間をくれました。

 お別れまでの準備ができる時間なんだから──同じ意味の言葉はこの後でまた聞くことになります。希林さん自身が癌になったときのことです。04年のことでした。

「癌は死ぬまでの準備期間があるところがいいよね」

 それから折に触れ、「美代ちゃんが私の人生の語り部になってね」と言われてきましたが、亡くなる少し前には「美代ちゃんが私の人生の語り部なんて、心配だねぇ」と私をからかうように言いました。

 希林さん、それはいちばん私が心配しているんです。でもこうして私なりに楽しかった希林さんとの時間を語って1冊の本にしましたよ。

『週刊文春WOMAN』2021秋号では、樹木希林さんの一人娘・内田也哉子さんと写真家・石内都さんの対談も掲載。希林さんの死から3年を迎えた也哉子さんが、実母の遺品を撮った『Mother’s』などで知られる石内さんと共に、「亡き母にさよなら、をするとき」をテーマに語り合います。

text:Atsuko Komine  

ひとりじめ

浅田 美代子

文藝春秋

2021年9月15日 発売

この記事の写真(8枚)

+全表示

ツイッターをフォローして最新記事をいち早く読もう

週刊文春WOMANをフォロー