「結婚は分別がつかないうちにしたほうがいいよ」
「結婚は分別がつかないうちにしたほうがいいよ。今は一度も結婚しない人が増えているでしょう。あれは、年齢と経験を重ねて分別がつき過ぎちゃったからだろうね」
後に、娘の也哉子ちゃんが19歳の若さで本木雅弘さんと結婚した時も全く反対しなかったそうです。
裕也さんは私の結婚後も「気に入らないんだよなぁ」とぶつぶつ言っていたようです。家庭を顧みない自分のことを棚に上げて何を言っているんだと思いましたが、裕也さんには裕也さんの言い分があったんでしょう。よくわかりませんが、実はとてもまじめな人ですから。
結婚後は時々母が手伝いに来てくれました。ピンポーンとインターホンを鳴らして「浅田家政婦協会から参りました」と名乗るんです。希林さんも二世帯住宅の娘の也哉子ちゃんと本木雅弘さん一家の部屋を訪ねる時、インターホンで「内田家政婦協会から参りました」と言ったとか。希林さん、母のセリフをパクりましたね。
私の結婚は7年ほどでピリオドを打ちました。理由は墓場まで持っていくつもりですが、離婚後、希林さんに褒められたんです。
「美代ちゃんは、元夫の悪口を言わないところがいいよね」
それは希林さんから学んだんです。希林さんこそ裕也さんが恋をしようが喧嘩をしようが借金をしようが、その後始末を引き受け、決して裕也さんの悪口を言うことはありませんでした。
希林さんは裕也さんを「私の重し」と言いました。希林さんは仕事にも恵まれ、不動産もたくさん所有し、娘家族とも仲良く、孫もいる。
「一つくらいは重しがないと、人生バランスが取れない。何だか申し訳ないとも思う。すべては手に入らないっていうのが、まっとうな人生じゃない?」
一方、私の人生と私の芝居に関しては手厳しいことを言われちゃいました。
「あんたって、人知れず苦労しているのにね。それが全然、芝居に出てこないわよね」
それは、私がなかなかありのままの自分を受け入れることができなかったからかもしれません。私は、老いることが怖かったのかもしれないです。
希林さんのモットーは、「歳をとることを面白がらなきゃ!」でした。
「若い頃の美しさに固執している人は面白くないし、50歳を過ぎたら50歳を過ぎたなりの、60歳を過ぎたら60歳を過ぎたなりの、何かいい意味での人間の美しさっていうのがあると思う」