〈2023年に『週刊文春WOMAN』で行った夫婦対談によると、25歳の本木雅弘の「(お酒を)飲む?」という冗談に、「私、もうやめましたから」と15歳の内田也哉子は応じてみせた。その貫禄に圧倒され、スイスに留学した彼女と文通を始めると、2年後に突如プロポーズ。「私には白髪のあなたが想像できるし、そういうあなたが愛おしいと思える気がする。今すぐじゃなくてもいつか結婚という選択肢が現れた時、私もそこに入れてください」。交際もしていないのに結婚に話が飛躍したことに困惑した、と妻は明かしている。〉
交際0日プロポーズの理由
彼女は私の中で、どんなふうに年齢を重ねていくのか眺めていたい人。夫でなくてもいい、とにかく近くで眺める権利を得たいと強く感じてしまったことは事実。
交際の報告は樹木さんには早々にしていて、結婚を迷う也哉子の背中も押してくれました。一方で、裕也さんは結婚の許諾を得ようにも、なかなか会ってくれなかった。「離れて暮らしていても男親ってそういうもんなんじゃないの」と樹木さんに言われた時は、おいおい、こういう時だけ普通の父親になるのかよと。
ようやく銀座の料亭の個室をセットしお招きするも、いざ結婚の話をしようとすると「ハエがいる。部屋を変えろ」とか騒ぎ出し……。結局、言い出せないまま連れていかれたのが、虎ノ門のホテルオークラにあったスコティッシュ・バー「ハイランダー」でした。
バーには当時の私の事務所の社長も呼ばれ、裕也さんは社長にギョーカイ話をするばかり。もう強引に顔を突っ込んで「結婚の承諾をいただきに来ました」と斬り込むと、「わかってるよ、ヨロシク」のひと言で、話は終わりました(笑)。
実は「ハイランダー」で裕也さんが指定した一番奥の角の席は、かつて彼がオノ・ヨーコとジョン・レノンと語り合った席で、非常に思い出深い大切な場所だった。ひとり娘の大事な話はそこで聞きたい。そして、ジョンとヨーコのような自由な精神性と強い愛情で結ばれた夫婦を目指してくれと、そういうはなむけの気持ちがあったのだと知りました。
※約7000文字の全文は、月刊文藝春秋のウェブメディア『文藝春秋PLUS』と『文藝春秋』2026年11月号に掲載されています(本木雅弘「本木雅弘60歳の告白 『晒された家族』の婿として」)。
・「本木雅弘」と「内田雅弘」
・意識のない時に私の魔が!?
・樹木希林から裕也へのFAXに
■もときまさひろ 1965年生まれ。企画から手掛けた『おくりびと』が2009年アカデミー賞外国語映画賞受賞。近著に『awai 刹那と永遠のまにまに』(トゥーヴァージンズ)

