1926年に創設された日本初の本格的なオーケストラ「NHK交響楽団」(以下、N響)が今年10月、100周年の節目を迎えた。東京・数寄屋橋で産声を上げた楽団は、今やヨーロッパと肩を並べる世界的なオーケストラとして知られる。
戦前にコンサートマスター(第一バイオリン、演奏者側の最高責任者。以下、コンマス)として支えた黒柳守綱の長女である黒柳徹子さん、1997年から長年N響の顔としてコンマスを務めた“マロ”ことバイオリニストの篠崎史紀さん(63)、思想史家・音楽評論家で『フィルハーモニー』誌に「N響百年史」を連載した片山杜秀さん(63)が一堂に会し、N響が奏でてきた歩みを語り合った。
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片山 ざっとN響の黎明期に遡ると、日本人で初めて交響曲を作り指揮もした山田耕筰、その弟子で近衛文麿の弟で、作曲よりも指揮をメインにした近衛秀麿の2人に行き着きます。1924年、山田は「日本交響楽協会」を設立し、近衛も合流しましたが、それから間もなく、大多数の楽団員が山田と対立し協会から脱退。近衛を担いで「新交響楽団」を立ち上げました。最初から日本放送協会が深く関わっています。この楽団が戦時期に「日本交響楽団」、戦後に「NHK交響楽団」となるのです。
そこからの長い物語を振り返るにあたって避けて通れないのが、戦前に近衛のもとでN響のコンマスを務めた徹子さんのお父上である、守綱さんです。
篠崎 N響の中で守綱さんはレジェンド。日本が西洋音楽を取り入れたばかりの時期に、礎を築いたバイオリニストの一人です。守綱さんのDNAは、今日までN響に引き継がれています。個人的にも、2023年に『窓ぎわのトットちゃん』の映画で守綱さんの演奏シーンを担当させていただいたことは、本当に光栄でした。
練習場の窓から
黒柳 その節はありがとうございました。素晴らしかったです。
私が小学生の時、赤坂から荏原にあった練習場まで歩いて5分の場所にわざわざ引っ越したんです。バイオリンを持って出かけていく父に飼い犬と一緒についていって、毎日、外から窓越しに練習を聞いていました。
片山 その練習場は、もとは近衛の土地でした。守綱さんたちの時代の練習を見ている人なんて、黒柳さんのほかにいませんよ。
篠崎 当時は録音機材がなくて音が残っていないのが残念です。写真を見ると、守綱さんだけ違う色のスーツを着ていて、とてもオシャレ。
黒柳 当時にしては珍しくパーマネントもかけて、見栄えがよかったので、人気があったみたい。戦争に行く前は、ハタチぐらいの女の人が何人も家へ来ていて、今でいう追っかけでしょうね。母は彼女たちにお茶を出したりして。子供心に「へえ、この人たちは父のことが好きなんだな」と思って眺めていました。

