ひらめきという魔力でエッセイを書く
渡辺 デビューから数年が経ち、エッセイを書くことに対する思いやアプローチに変化は出てきましたか?
伊藤 最初の頃は、手元にあった過去のエピソードをカードのように「これもある!」「これも!」とどんどん出していけたんです。でも1、2年経つと強い手札がなくなってきて、「どうしようかな」と悩むようになりました。私は論理や説明というより「野生の勘」で生きていて、自分でも「説明できないひらめき」みたいなものを得て書き進め、最後になぜか辻褄が合って書き終えられていたんです。
でも、そのひらめきという魔力が、だんだん衰えていくように感じていて。『魔女になりたい』を書いている時は特にそういう焦りがありました。『魔女の宅急便』でキキが突然ジジの声を聞き取れなくなるみたいに、自分の“霊性”が失われていくように思います。
渡辺 文芸評論の場合、対象となる文献などは無数にありますが、自分の人生と文章力のかけ合わせであるエッセイの場合は、書けば書くほど手札が減ってしまう難しさがありますよね。
伊藤 それにきっと今お父さんと喧嘩しても、昔ほど感情的にならないと思います。「感情の鎧」みたいなものができてしまっているので。
渡辺 10代の頃のようにこの世の終わりみたいに感情を出して怒ったり泣いたりすることも、さすがに30歳になってくると無いですよね(笑)。
伊藤 道端で大泣きするわけにはいかないです(笑)。
渡辺 そうすると、「魔女になりたい」という願望や思索について書いたり、『群像』の連載でされているように裁判の傍聴に行ってみたりというのは、新しい霊性を獲得する手段なのかもしれないですね。


